ゆらぐ蜉蝣文字


第4章 グランド電柱
64ページ/88ページ


4.14.13


. 春と修羅・初版本

10菩提樹皮(まだかは)と繩とをまとふ
11氣圏の戰士わが朋(とも)たちよ

「まだ皮」は、シナノキの靭皮(軟らかい内皮)の繊維を織った布です。秋田県では、“シナ布”とも言います:画像ファイル:シナ布

アイヌの“アツシ”(オヒョウ、シナノキの靭皮の繊維を織る)と似ていますが、賢治の時代までは、岩手県の山村では、じっさいに「まだ皮」の「けら」(農作業用の雨具、背当て)などを着ていたのです☆

☆(注) 「小岩井農場・パート7」には、「まだかわ」の「けら」を着た農場員の少女たちが描かれています:「トツパースの雨の高みから/けらを着た女の子がふたりくる/…/(Miss Robin)働きにきてゐるのだ/…/菩提樹(まだ)皮の厚いけらをかぶつて/さつきの娘たちがねむつてゐる」けら(みの)は、ふつうは藁で作りますが、《岩手県農業科学博物館》の旧展示(現在は他の展示に変更されました)によると、東北では防寒のために、津軽では犬の毛皮、水沢などではシナ布でも造られました:画像ファイル:各種「けら」

シナノキは、菩提樹★の仲間(シナノキ属)です。シナノキ属で、東北の山野に生えているのは、シナノキとオオバボダイジュです。オオバボダイジュも「まだ皮」の原料にされました:画像ファイル:シナノキ

★(注) ボダイジュもシナノキ属ですが、ボダイジュ自体は、お寺に植えられる木で、日本では自生しません。また、シューベルトの歌曲「菩提樹」の木(リンデンバウム)もシナノキ属です。インドで、釈迦がその樹下で悟りを開いたという“菩提樹”は、まったく別のクワ科の木だそうです。

「菩提樹皮(まだかは)と縄とをまとふ」

とありますが、
そうした一見原始的な習俗や労働に対して、それを、セクシーなまでにみずみずしい青春のエネルギーの迸りとともに耀かしく描いている点に、この詩の生命があると思います。





ところで、中原中也は、宮沢賢治の生前からの数少ない愛読者の一人で、『春と修羅』《初版本》を自ら愛読するばかりでなく、夜店で“ゾッキ本”として叩き売りされていた『春と修羅』を大量に買い込んでは、文学仲間の友人たちに配っていたといいます◇

◇(注) 《いんとろ》【3】0.3.2の下段参照。なお、中也は、非常にケチで性格の悪い人で、親しい友人にも、モノをタダであげるなどということは、この『春と修羅』の時だけだったそうですw

その中原中也は、賢治の死後ですが、1935年に発表した「宮澤賢治の詩」という論文の中で、「原体剣舞連」の詩句を引用して、次のように述べているのです:

「要するに彼
〔=宮沢賢治──ギトン注〕の精神は、感性の新鮮に泣いたのですし、いよいよ泣こうとしたのです。つまり彼自身の成句を以てすれば、『聖しののめ』に泣いたのです。」

ここで中也が「感性の新鮮」と言っているのは、日常的な生活言語によって概念化される以前の、いわばコトバ以前、《名辞以前》のみずみずしい感性のことです。

中也が、このような《名辞以前》の‘前概念’を把えることに重きをおいたのは、やはり、『春と修羅』の「序詩」から学んだ‘現象学的’詩精神なのだと思います。

ところで、中也はここで、宮澤賢治「自身の成句」だと言って、「聖しののめ」というコトバを引用しているのですが、
これは、「原体剣舞連」の:

08生しののめの草いろの火を

の「生(せい)しののめ」のこととしか考えられないのです‥
.
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ