ゆらぐ蜉蝣文字
□第4章 グランド電柱
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4.1.5
ほかの作品を見ると、宮澤賢治は、汽車の車内で、乗り合わせた乗客と話し込むことが、よくあったようです☆
☆(注) たとえば、散文『化物丁場』
作者が車内で、この初対面の青年と知り合って、話し込んだ状況を想像してもよいかもしれません。
ですから、
「[ぼ]ろぼろの朱子のマント」は、作者がこの青年に抱いた好意の現れだと思います。
作者の描く青年は、「あれは〔…〕何回か東京で引っぱられた」と陰口を言われる逆境にはまったく頓着しない、素直で物怖じしない性格の若者です。
軽くて人懐っこい感じさえします。
そして、爽やかなリンゴ酒のような初夏の大気から、しだいに夕色を帯び、「空いっぱいのビール」のようになって行く岩手の風土は、そうした青年を情深く包み込んでいます。
作者の気持ちは、青年の人柄に魅せられて、ほろ酔い気分かもしれません。
18Larix, Larix, Larix,
19青い短い針を噴き、
20夕陽はいまは空いっぱいのビール、
21かくこうは あっちでもこっちでも、
22ぼろぼろになり 紐になって啼いてゐる。
Larix(ラリックス)はカラマツ。カラマツの新葉(「青い短い針」)は、賢治お気に入りの初夏の風物です:カラマツの若葉
たくさんの「かくこう(カッコウ)」の啼き声が、「ぼろぼろになり」、紐のようになって響き合っています:カッコウ カッコウ(盛岡高農)
この作品に限らず、賢治詩ではしばしば、尾を引いて響く鳥の声を、紐の形で視覚的に表現します。
「ぼろぼろになり」は、しだいに暗くかすむ風景の中で、啼き声がかすれて聞こえるのではないでしょうか。青年の「ぼろぼろの」マントに対応していますが、マントと同様に、みすぼらしい感じではありません。
. 厨川停車場
最初に戻って読み返してみると、ビール瓶の褐色、透明なりんご酒、蛇紋岩の緑色、‥と絵画的な光景が展開し、次第に芳醇な夕暮れの色彩へと変化して行きます。
そして、空いっぱいに泡立つ濃色の「ビール」の中に、カラマツの青い針が光り、カッコウの声が、ぼろぼろの紐のように延びて重なり合います。
このように美しく描かれた岩手の初夏の風物の中に、際立つ個性を持った青年の人物像を配したこのスケッチは、完成度が高いのではないかと思います。
初版本に収録されてよい作品だと思いますが、あえて割愛したのは、「社会主義者」を好意的に描いている点が、誤解を呼ぶことを恐れたのではないでしょうか。
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