ゆらぐ蜉蝣文字


第4章 グランド電柱
48ページ/88ページ


4.13.2


そこで、該当する絵を、北斎の浮世絵の中から探してみますと:

「冨嶽三十六景 駿州江尻」という絵が、それではないかと思われるのです:画像ファイル:冨嶽三十六景・駿州江尻

たしかに、画面中央に大きく描かれている2本の木立は広葉樹で、ハンノキのように見えます。

やや下の右で、黄色い菅笠が、くるくると回りながら飛ばされて行きます(“逆さクラゲ”──カシオピイア──にも似ていますね?‥)
いちばん左にいる女の旅人が持っていた懐紙(ポケット・ティッシュ)も、風に飛ばされて行きます。

「黄の風車」とは、この・飛んで行く菅笠ではないでしょうか。
菅笠は、回転しながら飛ばされていると見ていいでしょう。
ボールでもフリスビーでも、まるい物体が外力を受けて運動するときには、重心のまわりに回転しながら飛行するからです。

旅人のひとりが、あわてて、飛んでゆく菅笠を追いかけようとしています。
前作「電車」の「ビクトルカランザ」の「帽子」が、ついに風に飛ばされてしまったということでしょうか?‥w

絵の「はんのき」は、まさに風衝樹形をしています:画像ファイル:風衝樹形

旅人たちは、自分の菅笠を手で掴み、身体が飛ばされないように踏ん張っています。

風のままに飛んでゆく紙や「風車」、強い風に抵抗するものの、なすすべのない人間たち──これらの構図は、定めない生々流転の世界を暗示しているのかもしれません‥

しかし、旅人は、おそらく、この吹きさらしの場所さえ通過してしまえば、あとは心配ないのでしょう。

それに対して、
2本の「はんのき」は、移動することができません。この風の強い場所で、樹形を適応させながら、耐えて行くほかはないのです。。。
「はんのき」は、互いに身を寄せ合い、じっと耐えているのです。

. 春と修羅・初版本

01 北[齋]のはんのきの下で
02 黄の風車まはるまはる

おそらく、作者が最初の2行で、北斎のこの絵を暗に参照させたのは、2本の樹木の“共生”を描く3行目以下を導入するためだと思います。

この2行だけで北斎のこの絵だと分かるのは、よほど浮世絵に詳しい人だけではないか?(ギトンがこの絵を見つけられたのは、あくまでインターネットというものがあるからです)宮沢賢治は、浮世絵を知らないと解らない詩を書いているのか?!──という疑問が起らざるをえないのですが、

それに対しては、菅原千恵子氏の次の指摘が、答えになるのではないでしょうか?:

「賢治はある特定の誰かに見てもらうためにこの詩集を出したのだ。そしてこのある特定の誰かだけが一読すれば全てを理解できる人であった。その誰かこそ賢治のただ一人の友保阪嘉内だったのだ。

 『春と修羅』が嘉内へ向けて送りつづけたメッセージであったと思われる節は、詩集の中に数多く見ることができる。『春と修羅』の中には二人だけで通じ合うことばや語彙のなんとたくさんあることか。」
(『宮沢賢治の青春』,角川文庫版,pp.160-161)

おそらく、賢治と嘉内は、かつて、北斎のこの絵(図鑑に掲載された写真など)をいっしょに見たか、話題にしたことがあるのではないかと想像します。

画面中央に、よりそって風下へ傾きながら並んで立っている「はんのき」は、二人の注意を惹いたはずです。
.
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ