ゆらぐ蜉蝣文字


第4章 グランド電柱
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4.12.5


やはり作品「昴」に:

「山へ行って木をきつたものは
 どうしても帰るときは肩身がせまい」

という詩句があります。「昴」と同じ日付の「風景とオルゴール」には:

「しづまれしづまれ五間森
 木をきられてもしづまるのだ」

とあります。迷信の強い地域では、山の木を大規模に伐採することは、“山の神の怒りに触れる行為”のように思われたのではないでしょうか?‥

ともかく、路面電車ができて便利になった(スピードは遅くても、貨物輸送には便利でしょう)ので、森林伐採や開発が進んだかもしれませんし、そもそも線路の枕木を調達するために、周辺の森林を伐採したかもしれません。

開発と、古くからの信仰の衝突──ということがテーマになっているのではないでしょうか?そういう目で見れば、第1連の:

01トンネルヘはいるのでつけた電燈ぢやないのです
02車掌がほんのおもしろまぎれにつけたのです
03こんな豆ばたけの風のなかで

には、(まだ山村では電灯さえつかない時代に)電気の無駄遣いをして遊んでいる路面電車に対する風刺があるかもしれません。

そして、「豆ばたけの風」が、白い葉裏をひらひらさせて、不安をあおっています。。。

さらに、電車を追い越してゆく農夫たち──農地解放を主張する「ビクトルカランザの配下」──に向かって悪態をついている第3連をも加味すれば、

温泉地の開発で富を蓄積しようともくろむ実業家や寄生地主たち☆と、古い迷信習俗にしがみつこうとする小作人や貧農との対立の構図が、浮かび上がってきます‥

☆(注) のちほど、【第8章】の「風景とオルゴール」〜「昴」で詳しく検討しますが、この《花巻電気軌道》をはじめとする豊沢川流域の開発には、《宮澤閥》を中心とする地元の事業家(賢治の父・宮澤政次郎氏もその一員)が関わっていました。その資本資金は、土地を担保とした農民への貸付(賢治の母方・宮澤恒治家)や、貧農への質貸し(政次郎家)によって、つまり、地元の人々からの収奪によって、その大部分が形成されていたと考えられます。

しかし、作者がこの作品で強調しようとする“致富層”の特質は、この軌道電車のように頼りなく、「豆ばたけの風」のように不安に満ちたものなのです。。

ギトンは、とりあえず、、以上のように理解してみました。
ただ、これがこの詩の解釈のすべてではありません。じつは、「山火事」「木を伐る」──いずれも、この詩集『春と修羅』全体の構想に関わる重要なイメージであり、スケッチ「電車」は、詩集前半から後半へ向けてダイナミックに展開してゆく作者の“思想”転換の・ささやかな伏線になっているのです。

しかし、その問題はここで扱うには大きすぎますから、【第8章】まで待っていただくことになります。。。


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