ゆらぐ蜉蝣文字


第3章 小岩井農場
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3.5.35


このように、散文『太陽マヂック』の中心的テーマは、作者が共感しあえる少年に対して抱いた同性愛感情です。

「小岩井農場」のパッセージ(118-128行)もまた、ぼかして書いては、いるものの、4月の同じ実習体験を述べている以上、同じ同性愛感情の体験を想起しています。

そして、賢治は、‘菩薩のマヂック’という表現によって、そうした感情を肯定しようとしているのだと思います。
「光炎菩薩」である太陽からさんさんと注いで来るやさしい春の陽気のなかで、作者と少年の二人の心は融け合い「磁石のように…吸い着」き合った、と言うのです。

同性愛的感情を、仏教的な観念で装うことによって受け入れようとするのは、宮沢賢治の作品にしばしば見られる道具立てです。

例えば、散文〔峯や谷は…〕や、それを改作増補した童話『マグノリアの木』、あるいは、童話『インドラの網』などに現れています。

のみならず、賢治の描く天上界の人物は、ほとんど常に、綺麗な「すあし」を見せる男性、あるいは、うすぎぬと瓔珞だけを身にまとった裸体の少年たちだったりと、多分にエロチックな相貌で現れるのです。

こうしたことが、作者の同性愛志向と無関係だとは思えません。






. 春と修羅・初版本

129どのこどもかが笛を吹いてゐる
130それはわたくしにきこえない
131けれどもたしかにふいてゐる
132(ぜんたい笛といふものは
133 きまぐれなひよろひよろの酋長だ)

134みちがぐんぐんうしろから湧き
135過ぎて來た方へたたんで行く
136むら氣な四本の櫻も
137記憶のやうにとほざかる
138たのしい地球の氣圏の春だ
139みんなうたつたりはしつたり
140はねあがつたりするがいい

「どのこどもかが笛を吹いてゐる」から、作者は、ふたたび、農場の道を歩いている子どもたちに目を向けます。

作者の目は、農業実習の想起から醒めて、眼前の風景へと戻っているのです。
なぜなら、118-128行の『太陽マヂック』断片で想起されていたのは、作者と阿部少年2人だけが登場する情景だったからです。

130それはわたくしにきこえない
131けれどもたしかにふいてゐる

は、幻聴かもしれませんが、むしろ、‘聞こえるような気がする’‘聞こえたらよい’という願望ではないでしょうか。というのは、129行目から133行目までは【下書稿】にはありません。推敲のさいの・おそらく創作なのです。

子どもたちの楽しそうな風景が、そうした願望を抱かせるのだと思います。

132(ぜんたい笛といふものは
133 きまぐれなひよろひよろの酋長だ)

は、笛の音という仮想の聴覚を、今度は「ひょろひょろの酋長」という視覚映像で表現しています。

ほんとうに聞こえるのかどうか、はっきりしない感じを、「きまぐれなひょろひょろ」という表現で表しているのではないでしょうか。

134みちがぐんぐんうしろから湧き
135過ぎて來た方へたたんで行く

というのは、
作者が、後ろ向きに歩いているからです。かなりの速さでバックしていることが分かります。

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