ゆらぐ蜉蝣文字


第3章 小岩井農場
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3.5.31


. 春と修羅・初版本

105ちらちら瓔珞もゆれてゐるし
106めいめい遠くのうたのひとくさりづつ
107緑金寂静のほのほをたもち
108これらはあるひは天の鼓手、緊那羅のこどもら

「緊那羅(きんなら)」は、インド神話の音楽の神々(精霊)で、仏教では護法善神とされ、帝釈天(インドラ神)の眷属です。とりわけ歌声が美しく、天界で音楽を奏でています。
キンナラ(Kimnara)は男性形で、女性の場合はキンナリ(Kimnari)といいます。

日本では、阿修羅像で有名な興福寺八部衆の中にある天平時代の《緊那羅像》が有名です。厳めしい武人の装束ですが、よく見ると顔は若々しい少年です:画像ファイル・緊那羅

ところで、↑この興福寺のキンナラ、もっとよく見ると、2つの眼のほかに、おでこに縦の眼がありますね。つまり、三つ目なのです。

さきほどの金緑石のキャッツアイといい、このキンナラのおでこの目といい、

詩行の表面の明るさに浮かれている読者を、うしろからじっと見ている誰かの──作者の?…あるいは、作者より上から、じっと見下ろしている超越的な存在の?──眼を感じないわけにいきません‥

楽しい、美しい、輝かし…表面の内部から、ときどき見え隠れするモチーフは、この長大なスケッチの深層主題へと繋がってゆく伏線と思われるのです…

109 (五本の透明なさくらの木は
110  青々とかげらふをあげる)

109-110行で「五本の透明なさくらの木」が再登場しますが、
ちょっとここで再び、「下丸5〜8号拡大図」を見てください:小岩井農場略図(1)

賢治のいる「→」印の位置からも、「へ・3」の木立ちを透して、‘幽霊桜’が見えるのです。木立ちを透しているので、はっきりとは見えないようすを「透明なさくら」と言っているのです。

広大な「下丸7号」耕地の奥に見えていたときには、4本なのか5本なのかよく分からなかったのですが、裏側から見て、5本であることが判明したのでしょう。

しかし、「透明なさくら」が「青々とかげらふをあげる」光景は、実景である以上に、作者の心象のモチーフとして重要です。

この「さくら」のあげる陽炎は、性的な欲情につながる炎のモチーフだと思います。

「すあしのこどもら」の「調子に合せて」踊っているうちに作者の内部から沸き上がった・熱い情念が、「鴇いろ」の「さくらの幽霊」に投射して、燃え上がってきたのです…


  

111 わたくしは白い雑嚢をぶらぶらさげて
112 きままな林務官のやうに
113 五月のきんいろの外光のなかで
114 口笛をふき歩調をふんでわるいだらうか
115 たのしい太陽系の春だ
116 みんなはしつたりうたつたり
117 はねあがつたりするがいい

独白調ですが、道すがらのスケッチの続きになっています。「きんいろの外光のなか」を「口笛をふ」いて‘気ままに’歩いている作者自身の姿をスケッチしています。それだけ、作者の心が外に向いてきたのだと思います。

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