ゆらぐ蜉蝣文字
□第3章 小岩井農場
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3.5.23
. 春と修羅・初版本
83いま日を横ぎる黒雲は
84侏羅(じゆら)や白堊のまつくらな森林のなか
85爬蟲がけはしく歯を鳴らして飛ぶ
86その氾濫の水けむりからのぼつたのだ
87たれも見てゐないその地質時代の林の底を
88水は濁つてどんどんながれた
しかし、‥
「パート3」に戻りますと、
83行目で、「白金海綿」の実体が明らかにされます。黒い雲が、太陽の前を通過しているのです。
そして、「黒雲」は、驟雨の前兆であるだけでなく、
地球の地質時代の幻視へ、作者を向かわせます。
「黒雲」は、その中生代の森林の底で、氾濫した川の「水けむり」が立ち昇って、黒いちぎれ雲になったのだと、言うのです。
宮澤賢治にとって、中生代あるいは古生代の原始林のイメージは、
“修羅が修羅として生きる世界”だったのだと思います。
それは、たしかに下等な動植物が争い合う凄絶な世界ですが、自分が“修羅”であることに、何の引け目も感じなくてすむ世界です。
つまり、「たれも見てゐない」世界なのです‥
「侏羅や白堊」は、中生代の恐竜全盛時代であったジュラ紀と白亜紀です:画像ファイル・ジュラ紀・白亜紀
白亜紀は、中生代の最後の時代で、白亜紀末の‘隕石衝突事件’によって、大型爬虫類は絶滅し、代って、哺乳類が進化して、新生代の地上の王者となります。
賢治が想像しているジュラ紀・白亜紀の森林のようすは、現在の地質学・古生物学によって明らかにされている像とは、やや異なっていますので、
賢治の想像世界の特徴に注意しておく必要があります:
@ まず、森林の中は「まっくら」です。
A プテラノドンのような翼竜が「けはしく歯を鳴らして飛」んでいます。
B 林底には、濁流が激しい勢いで流れています。
Aの「歯を鳴らして飛」ぶ翼竜は、作品「春と修羅」の:
「唾し はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ」
という詩句を想起させないでしょうか?
翼竜☆は、「修羅」のひとつの姿なのかもしれません。
☆(注) プテラノドンは、白亜紀に生息しましたが、じつは、歯がありません。歯のある翼竜といえば、ジュラ紀のプテロダクテュルスになります:画像ファイル・ジュラ紀・白亜紀
Bの濁流は、
「パート3」の最初──《農場入口》で見た《巡沢》の流れのイメージから、作者自身にも見えない意識の地下を流れてきたものが、いまここで噴出しているのだと、見ることができます:
. 春と修羅・初版本「パート3」
07小さな沢と青い木だち
08沢では水が暗くそして鈍つてゐる
09また鉄ゼルの fluorescence
暗く淀んでいた流れは、いまここでは、激しい濁流となって、氾濫しながら流下して行きます。
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