ゆらぐ蜉蝣文字


第3章 小岩井農場
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3.5.19


. 春と修羅・初版本

79青らむ天のうつろのなかへ
80かたなのやうにつきすすみ
81すべて水いろの哀愁を焚き
82さびしい反照の偏光を截れ

「さびしい反照の偏光」

──これは、作品「春と修羅」の:

「(かげらふの波と白い偏光)」

を想起させます。「偏光」☆は、かげろうのように、ゆらゆらと揺れて、悲しみをそそる日の光でしょう★



偏光フィルター(ニコル)


☆(注) 科学用語の「偏光」は、電場および磁場が特定の方向にのみ振動する光のこと。自然光は、進行方向と垂直なあらゆる方向に振動していますが、“偏光フィルター”を通過させると、特定方向に振動する光だけを取り出すことができます。透過光の偏光特性によって色が変る・鉱物結晶の性質を利用した偏光顕微鏡や、パソコン・携帯電話の液晶ディスプレイに応用されています。

★(注) 陽炎(かげろう)の光を「偏光」と呼ぶ例は、のちの年代の詩にも多く、例えば、「赤楊にはみんな氷華がついて/野原はうらうら白い偏光」(『第3』,#1012,1927.3.21:〔甲助 朝まだくらぁに〕)

「パート4」の「反照の偏光」は、しらじらと光る曖昧な反射光を、さびしさに結びつけています。

「散り行きし
 友らおもへば
 たそがれを
 そらの偏光ひたひたと責む」
(『歌稿B』,#552,大正6年7月[〜7年4月])

↑盛岡高農時代の1917年7月ころ、岩手山行の帰りに、駅で解散したあとの寂しさを詠んでいると思われます。
「友ら」とありますが、この岩手山行は、菅原千恵子氏によれば、嘉内と賢治の二人だけの徹夜山行だった可能性がありますから◇、

じっさいには、夜を徹して同行した保阪と別れたあとの寂しさを、詠んでいるのかもしれません。

◇(注) 菅原千恵子『宮澤賢治の青春』,角川文庫,pp.42-46,76.

それにしても、賢治はなぜ、↑上のような寂しいけしきの中へ、「刀のやうに突きすす」み、心臓の鼓動のように‘どしどし’と「哀愁を焚き」、さびしい照り返しの「偏光」を切り裂いて、突破して行こうとするのでしょうか?

作者が向かって行くのは、目映い光と絶対的な闇黒がないまざった世界であり、それは何らの慰めもない「うつろ」な世界ですが、
「水いろの哀愁」の火が焚かれ、「さびしい反照」が、ちらちらとまたたいています。

そうした絶望的な世界へ、むしろ自分から突き進んで行こうと言うのです‥‥

ところで、やはり 1923-24年頃書かれたと思われる『さいかち淵』☆という童話があります。

☆(注) 用紙は、童話『車』と同じく、賢治が『春と修羅』《印刷用原稿》に使うために東京の「丸善」から取り寄せた特製原稿用紙です。

『さいかち淵』は、のちに、改作されて童話『風の又三郎』の一部に編入されています。
『風の又三郎』で、放課後に川へ泳ぎに行った子どもたちが夕立ちに遭う場面は、『さいかち淵』の原稿を転用したものです。

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