ゆらぐ蜉蝣文字
□第3章 小岩井農場
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3.5.18
. 春と修羅・初版本
77 (空でひとむらの海綿白金がちぎれる)
78それらかヾやく氷片の懸吊をふみ
79青らむ天のうつろのなかへ
80かたなのやうにつきすすみ
81すべて水いろの哀愁を焚き
82さびしい反照の偏光を截れ
「氷片の懸吊」とは、氷のかけらが空に宙吊りになっているという意味でしょう☆
☆(注) 調べてみると、“懸吊(けんちょう)車両”とはロープウェイのことらしいです。また、ヘリコプターなどから荷物を吊り下げて運ぶことを“機外懸吊”、ハンモックで人を運ぶ救難・介護器具を“懸吊具”と言っています:画像ファイル・機外懸吊
「かヾやく」と言っています。「それら」は、前の行の「海綿白金」を指しているのでしょうか?‥この指示関係はあいまいです。
むしろ、暗い灰色〜黒色の・ちぎれ雲と、その背景の輝く空ないし白雲を全体としてとらえ、
その全体に対して、「それらかヾやく氷片の懸吊‥青らむ天のうつろ」という“全体”を対置し、“指示”によって結びつけていると考えたほうがよいでしょう。
黒い雲は、低空で雨つぶの大きな粒子を含んでいるために、太陽光の散乱度が低くなって黒く見えるそうです。つまり、黒く見えるのは水滴であって、「氷片」ではありません。
これは、(賢治も知っていたであろう)科学知識ですが、
情景の‘ありのまま’の観照としても、灰色〜黒色のちぎれ雲と「かヾやく氷片」は、直接結びつかないような気がします。
賢治の《スケッチ》は、科学知識を適用して風景を観察・考察する気象学者や自然地理学者のそれとは異なっているのだと思います。
輝く部分と暗い部分のある‘輝く空のちぎれ雲’の光景から、雨の到来を──つまり‘凄惨な世界’に進んで自分が歩んでいることを予感し、
その暗さ、冷たさから、氷の破片が宙に浮かぶイメージを重ねているのです。
そのように分析した《心象》の成り立ちから、
「青らむ天のうつろ」
という情景は、ただちに了解できるでしょう。
これまで何度も述べてきたように、光でいっぱいの輝く空だからこそ、がらんとして暗く「うつろ」なのです。
「水いろの哀愁を焚き」
──「焚き」という言い方は、第1章の「丘の眩惑」の:
「(お日さまは
そらの遠くで白い火を
どしどしお焚きなさいます)」
を想起させます。
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