ゆらぐ蜉蝣文字


第3章 小岩井農場
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3.5.15


野生のヤマザクラは、さまざまな品種が混交して生えていますから、ある個体が散るころに、近くの別の個体が開花する…というように、山全体としては、非常に長い期間にわたって、桜が咲いているのです:

あしひきの 山桜花 日並べて かく咲きたらば いたく恋ひめやも
 
〔山の桜ばなのように、こんなに毎日咲き続けていたら、恋しくなったりはしないでしょうに〕 (万葉集 山部赤人)

春霞 たなびく山の 桜花 見れどもあかぬ 君にもあるかな

〔眺めても眺めても飽きない長期間の花見!〕(古今 詠人不知)

春霞 たなびく山の 桜花 うつろはむとや 色かはりゆく

〔さまざまな品種が次々に散っては咲くので、山全体の花の色は変化してゆく〕(古今 詠人不知)

しらくもに まがふ桜の こずゑにて ちとせの春を 空に知るかな

〔咲き続ける山桜は、まさに「千歳の春」〕 (金葉和歌集 待賢門院中納言)

このように、ヤマザクラが対象だった時代の花見は、2ヶ月あまりにわたる息の長い・のどかな趣向だったのです。

パッと咲いてパッと散ってしまう散華の桜は、たかだか最近百年の流行にすぎないわけです。




. 春と修羅・初版本
71いま見はらかす耕地のはづれ
72向ふの青草の高みに四五本乱れて
73なんといふ氣まぐれなさくらだらう
74みんなさくらの幽霊だ
75内面はしだれやなぎで
76鴇(とき)いろの花をつけてゐる

この4〜5本の「さくらの幽霊」は、前回の検討から、耕地☆の奥にある林地に生えた野生のオオヤマザクラと考えられます。

そこで、次に、それらの生えている地点を確認したいと思います。

☆(注) 「向ふの青草の高み」は、岡澤氏が推定するように、スロープになった耕地に蒔かれた燕麦が発芽している状況と思われます(『賢治歩行詩考』p.64)。帰路の「パート九」【下書稿】にも、「腐植質から燕麦が生え」とありますから、燕麦の生え始めた畑にまちがえないでしょう。

. 小岩井農場略図(1)
↑下のほうの「下丸5〜8号 拡大図」を見てください。

賢治は、「白樺の交差路」から農道(青緑色の路)のほうへ進んで来ました。

農道は、「下丸5号耕地」を横断して、雑木散生地のへりを通り、「下丸7号」と「下丸5号」の境界を北へ(上へ)向かいます。キジが出て来たのは、雑木散生地からでした:写真 (u) (v)

下丸7号」は、北東方向へゆるやかにせり上がってゆく「青草」のスロープで、その向こうの高みに「へ3」林区があります。岡澤氏の推定によると、「幽霊桜」が見えたのは、この「へ3」林区になります。赤の矢印‘’は、その時の賢治の位置です。
へ3」林区の西隣りには「四ツ森」という小さな丘があり、木が鬱蒼と茂って視界をさえぎっています:写真 (w)
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