ゆらぐ蜉蝣文字


第3章 小岩井農場
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3.5.14


. 春と修羅・初版本

71いま見はらかす耕地のはづれ
72向ふの青草の高みに四五本乱れて
73なんといふ氣まぐれなさくらだらう
74みんなさくらの幽霊だ
75内面はしだれやなぎで
76鴇(とき)いろの花をつけてゐる

「内面はしだれやなぎ」という詩句から、賢治の「さくらの幽霊」は、枝垂れ桜ではないか、──ということも考えられます。
例えば、岡澤氏は、シダレザクラ説を述べておられます。

しかし、ギトンは、シダレザクラではないと思うのです。シダレザクラにしては、開花時期が遅すぎるからです。

枝垂れ桜は、枝が、シダレヤナギと同じように垂れている品種ですが、多くはエドヒガンの変種です。
エドヒガンは、彼岸桜に属する種で、その名のとおり彼岸(3月20日頃)前後に開花します。つまり、ソメイヨシノよりも早い・超早咲きの桜なのです。

しかし、「さくらの幽霊」が、じっさいの光景だとすれば、5月に咲いていることになります。彼岸桜だとしたら、遅すぎないでしょうか?☆

☆(注) もっとも、小岩井農場の有名な《一本桜》は、枝垂れ桜ではありませんが、エドヒガンだそうです。2013年には5月15日頃満開だったとのこと。農場でいちばん高い場所にあるので、本部付近の桜並木(ソメイヨシノ)より遅くなります。小岩井農場の桜については、もっと見聞する必要があるかもしれません。

しかも、賢治の【下書稿】を見ると:

「精神はやなぎだ。」

となっています。つまり、「内面はしだれやなぎ」という語句の意味は、木の外見を言っているわけではないのだと思います。

ですから、この「さくらの幽霊」はシダレザクラではなく、自生のヤマザクラ類だと思うのですが、

ヤマザクラ類の主な種類を考えてみますと、

@ 山地の比較的低いところに自生するのがヤマザクラ。

A 山のもっと上部に多いのが、カスミザクラ。カスミザクラは、高さ20mにもなる高木ですが、花は小さめで、咲いているのを遠くから見ると、白く煙って霞のような感じがします。

B さらにもっと上部へ行くと、オオヤマザクラが目立つようになります。オオヤマザクラは、葉も花も大型で、しかも花びらの赤みが強いので区別がつきます。

ヤマザクラ類も、大部分の種は、ソメイヨシノと同じような淡いピンクの白っぽい花ですが、オオヤマザクラだけは、はっきりと濃い桃色なのです。

そこで、賢治の見た「さくらの幽霊」は、
「幽霊」という言い方から、Aカスミザクラのような気もするのですが、

76鴇いろの花をつけてゐる

と書いていますから、B赤みの強いオオヤマザクラだと思います。

「ときいろ」は、鳥類のトキの風切りばね(翼の先端の羽)の色で、やや紫を含んだ桃色です:画像ファイル・ときいろ 画像ファイル・トキ

ちなみに、現代の日本で‘花見’の対象になっている桜は、大部分がソメイヨシノ☆の植栽樹です。日本全国同じ一つの品種ですから、咲いている期間も短く、あっというまに散ってしまいます。“桜前線”は、ソメイヨシノの開花時期を示すものです。

☆(注) ソメイヨシノは、幕末〜明治初期に、江戸の染井(現在、豊島区の染井墓地)にあった園芸師の集落で、エドヒガンとオオシマザクラ(カスミザクラの変種)を交配して人工的に造られた園芸品種です。しかも、最近のDNA調査によると、ソメイヨシノ桜は、どれもみな同一クーロンだそうです!! つまり、日本全国にあるソメイヨシノも、海外にあるのも、すべて‘同じ木’なのです。

しかし、江戸時代以前に‘花見’の対象となっていたのは、ヤマザクラでした。

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