ゆらぐ蜉蝣文字


第3章 小岩井農場
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3.5.12


. 春と修羅・初版本

59それから眼をまたあげるなら
60灰いろなもの走るもの蛇に似たもの 雉子だ
61亞鉛鍍金(めつき)の雉子なのだ
62あんまり長い尾をひいてうららかに過ぎれば
63もう一疋が飛びおりる
64山鳥ではない
65(山鳥ですか? 山で? 夏に?)
66あるくのははやい 流れてゐる
67オレンヂいろの日光のなかを
68雉子はするするながれてゐる
69啼いてゐる
70それが雉子の聲だ

59行目「眼をまたあげる」は、奇妙です。いままで、空の雲やヒバリを見ていたのではないのでしょうか?

どうやら違うようです。
目は地面に落として、ヒバリは声を聞き、太陽と雲は地上に降る光を見て、それらを想像していたと思ったほうがよいかもしれません。

直接見上げると、眩しくて何も見えないくらい、日差しが強くなったのでしょう。

「眼を…あげる」と言っても、空ではなく、遠くの地上を走ってゆくキジを見ているのです。

遠くから見ている時には、まだ、何が──農道を横切って──走ってゆくのか、よく分かりません。蛇かと思っています。

しかし、さすがに土地慣れしているので、まもなくキジだと分かります──まだ、はっきり見えては、いませんが、
灰色に伸びているのはキジの「長い尾」だと気づきます。

山に住む動物や鳥の長い尾は、一種の擬態です。自分の身体を大きく見せて、天敵を威嚇するのです。人間から見ても、たいそう立派に見えます。
長い尾を引いて「うららかに」走って行くキジの姿は、風格を感じさせます。

その華麗なふるまいに誘われてか、また次の一羽が来て着地します。

キジとヤマドリは近縁の鳥で、両方とも林地や河川敷に生息しています。
キジのオスは特有の色彩で他の鳥と区別がつきますが、
キジのメスは、羽根の模様がヤマドリによく似ていて区別がつきにくい::画像ファイル・キジ/ヤマドリ
ヤマドリのオスは、長い尾が特徴です。尾の長さだけで40cm〜1m、尾を合わせた全長は120cm以上あります。
そこで、作者は、その・尾の長い鳥は、もしかしたらヤマドリではないかと、一瞬考えているわけです。

しかし、ヤマドリではなくキジだと結論します。
啼き声を確認していますから、キジに間違えないでしょう。

65(山鳥ですか? 山で? 夏に?)

とありますが、ギトンには意味が分かりません。
調べてみると、ヤマドリは、山地にある森林や藪地に生息する日本固有の留鳥──とありますから、夏の山にもいることになります。
ただ、野外で出会うのは少し困難な鳥だそうです。ギトンも、ヤマドリとキジを区別して見たことはありません。群れで行動する冬季のほうが見つけやすいかもしれません。

道端からキジが出て来たことで、耕地が切れて、林地や草むらが道に張り出している場所に差しかかっていることがわかります。
さきほどは、耕地の向こうに‘4列のカラマツ’が見える場所でした。

《初版本》出版当時、小岩井農場をしばしば訪れたことのある人ならば、こうして詩に散りばめられた‘目印’によって、作者がいま、どのへんを歩いているのかが、分かったのでしょう。
もちろん、それから90年経った現在では、農場の景観も大きく変っていて、賢治の‘目印’を見出だすことは不可能です。
岡澤敏男氏は、大正8年の農場の「林相図」☆と照合して、賢治の歩いた道筋や、後出の《聖なる地》の場所を確定しているのです。

いま、キジが出て来た場所は、こちらの地図「農場中心部」の「A」地点、「下丸5〜8号拡大図」の「雑木散生地」にあたることが分かっています:小岩井農場略図(1) 写真 (u) (v)
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