ゆらぐ蜉蝣文字


第3章 小岩井農場
51ページ/184ページ


3.5.10


白秋の詩「花火」は、詩集『東京景物詩及其他』(1913年)の章「雪と花火」にあります。また、この詩集には、「雪の日」という詩もあります。
しかし、アイスクリームは、「花火」に、夏の風物として1回登場するだけです。
賢治は、「夏の日にあの白秋が/雪の日のアイスクリームをほめる」と書いていますが、白秋のほうには、“雪の日のアイスクリーム”はありません。

「花火」は、真夏に催される隅田川の花火を背景に、アイスクリームをほおばる不倫男女の切ない情愛を描いています。以下、関係部分を引用します:

「花火があがる、
 銀と緑の孔雀玉……パツとかなしくちりかかる。
 〔…〕
 アイスクリームひえびえとふくむ手つきにちりかかる。
 わかいこころの孔雀玉、
 ええなんとせう、消えかかる。」

賢治が、「白秋が/雪の日のアイスクリームをほめる」と言っているのは、

「アイスクリームひえびえとふくむ手つき‥」

「わかいこころの孔雀玉‥消えかかる」

という部分だと思います。
つまり、花火のように華々しく燃え盛った恋の情熱が、一瞬にして冷えてしまう状況を、情緒深く歌にしている部分です。

それは「贅沢だ」と言うのです。
おそらく、花火で比喩されるような華々しい恋を、「贅沢だ」と批判しているのでしょう。

その一方で、「同じだ」と言っているのは、どんな意味でしょうか?

賢治の口ずさむ「変てこなセレナイデ」(「変てこなセレナアデ」に推敲)は、白秋の場合とは逆に、胸のうちから溢れ出す・灼けるような情熱であり、それが、外部の吹雪によって冷やされる関係にあります。
つまり、白秋の“花火⇔アイスクリーム”とは、逆の関係になっているのです。



さて、賢治の《初版本》テキストに進みますと:

. 春と修羅・初版本

46けれどもあの調子はづれのセレナーデが
47風やときどきぱつとたつ雪と
48どんなによくつりあつてゐたことか
49それは雪の日のアイスクリームとおなし

白秋の名を伏せたのは、はばかってのことでしょうから、内容的には変更は無いと思います。つまり、「雪の日のアイスクリーム」は、白秋の詩「花火」を指しています★(この暗示は、非常に判りにくいですが)

★(注) 白秋の名を外したことから、「花火」と無関係な解釈をするなら、次のようになるでしょう:風・雪とセレナーデとの釣り合いが、「雪の日のアイスクリームとおなし」だと言っている意味は、セレナーデを口ずさみながら、極寒の地吹雪の中を歩き回るという特異な趣向は、寒い日に冷たいアイスクリームを食べるという季節外れの情趣にも比べられると。

「風やときどきぱつとたつ雪」は、隅田川に打ち上げられる花火に相当する景物です。もとは厳しいだけだった地吹雪が、賢治の推敲の過程で、次第にそうした審美的な性格を帯びてきたのです。
そして、「あの調子はづれのセレナーデ」とは、いかにもスマートで控えめな言い方ですが、じつは作者にとっては、極寒の吹雪にも釣り合うほどの熱い情念なのです。

50(もつともそれなら暖炉もまつ赤だらうし
51 muscobite も少しそつぽに灼けるだらうし
52 おれたちには見られないぜい澤だ)

この「暖炉」は、白秋作詞の「ペチカ」を意識していると考えたいところですが、残念ながらそれは無理なようです。
「ペチカ」の発表は1924年(満州)で、内地では1925年ですから、『春と修羅』《初版本》の発行1924年4月と見合わせても、ちょっと間に合いません。

「muscobite」は「muscovite」の誤植で、白雲母のことですが:画像ファイル・白雲母
当時は、ストーブの覗き窓に使われていたそうです(あるいは、白秋の歌集『雲母集』(1915年)を当てこすっているのでしょうか??‥)

.
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ