ゆらぐ蜉蝣文字


第3章 小岩井農場
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3.5.7


. 春と修羅・初版本

33まがりかどには一本の青木
34 (白樺だらう 楊ではない)
35耕耘部へはここから行くのがちかい

耕耘部への近道に入ってゆく曲がり角には、一本の白樺の木があって、目立つ存在でした(『賢治歩行詩考』pp.49-51)

. 下丸5〜8号拡大図 ←『賢治歩行詩考』p.52 に掲載されている大正8年の林相図(小岩井農場作成)と現在の25000分の1地形図を参考に、この付近の略図を描いてみました:

. 「農場中心部」 ←賢治は、右下(南)のほうの農場入口から歩いてきたわけですが、本部の先で馬トロ軌道にぶつかって右に折れると、さきほどの「キルギス式のたくましい耕地」“下丸2号耕地”が西側に見えます。ここで、旧網張街道と馬トロ軌道は、農道(耕耘部への近道)(現在の県道219号=バス通り)と岐れます。

その分岐点には、目印になる白樺の一本木が立っていました。賢治はここで、旧網張街道から離れて農道(現在のバス通り)へ進み、四ツ森、小岩井尋常小学校、耕耘部‥‥現在の“まきば園”方面へと向かいます。

途中には、賢治が「聖なる地」(der Heilige Punkt)と呼んだ下丸7号耕地などがありますが、それらは先へ読み進むと出てきます(⇒:《パート4》3.5.16“der heilige Punkt”

35耕耘部へはここから行くのがちかい
36ふゆのあひだだつて雪がかたまり
37馬橇(ばそり)も通つていつたほどだ
38(ゆきがかたくはなかつたやうだ
39 なぜならそりはゆきをあげた
40 たしかに酵母のちんでんを
41 冴えた氣流に吹きあげた)

冬季は積雪でレールが埋まってしまうので、馬トロの代わりに馬橇が走ります。↑上の地図ファイルに、現在の観光用の馬橇の写真を、出しておきました。もちろん、当時の馬橇は、農場の貨物や作業員を載せるもので、こんなにカラフルではなかったと思います。

そして、“近道”の農道のほうが、人がたくさん通るので、雪が固まっており、馬橇は、馬トロ軌道からはずれて、農道のほうを通って耕耘部へ向かったのです(『賢治歩行詩考』pp.53-55)。「冬のあひだだって雪が固まり/馬橇も通っていったほどだ」と書いているのは、この“近道”のことです。

賢治は1月にここを通りかかったときの光景を想起しています。“近道”を走って行く馬橇が、積雪を蹴り上げ、走って行く橇のうしろには、舞い上がった雪が風にあおられて、煙のように高く吹き上がっていたのです。
つまり、軽い地吹雪です。“近道”は、下丸のひろびろとした耕地の間を行くので、さえぎるものがなく、強風がまともに吹きつける場所でした。

しかし、賢治は「冴えた氣流」などと言って、この強風の地吹雪を、かえって心地よく感じているかのようです☆:

☆(注) もちろん、春たけなわに回想しているから、そう思えるのです。「屈折率」と「くらかけの雪」では、もっとつらそうだったと思います。

42あのときはきらきらする雪の移動のなかを
43ひとはあぶなつかしいセレナーデを口笛に吹き
44往つたりきたりなんべんしたかわからない
45 (四列の茶いろな落葉松(らくやうしやう))
46けれどもあの調子はづれのセレナーデが
47風やときどきぱつとたつ雪と
48どんなによくつりあつてゐたことか

「ひと」とは、作者自身のことです。しかし、今の自分とは切り離されているように感じています──そう感じる理由は、まもなく明らかになります。

「きらきらする雪の移動」は、気温が低くなって、吹きつけてくる雪の粒も、氷結して輝いているということです。
この凍えるような激しい地吹雪の中を、威勢よく口笛を吹きながら「往ったりきたりなんべんしたかわからない」というのです。

なぜ、賢治はこれほどまでに、まるで気でも狂ったかのように、極寒の地吹雪と戯れていたのでしょうか?

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