ゆらぐ蜉蝣文字


第3章 小岩井農場
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3.5.5


. 春と修羅・初版本

20はたけは茶いろに堀りおこされ
21廐肥も四角につみあげてある
22並樹ざくらの天狗巣には
23いぢらしい小さな緑の旗を出すのもあり
24遠くの縮れた雲にかかるのでは
25みづみづした鶯いろの弱いのもある……

「厩肥」は、家畜小屋の敷き藁などが家畜の糞と混ざって醗酵した物:画像ファイル・厩肥

「廐肥も四角に…」は、馬舎から搬出されて、畑に鋤き入れるために積み上げてあるものです(『賢治歩行詩考』p.46)

この2行は、農作業に縁のない私たちにも、日に日に暖かくなってゆく春の喜びが伝わって来るようです。

22〜25行は、ふたたび、桜(ソメイヨシノ)の天狗巣に目を注いでいます。写真でごらんのように(画像ファイル・天狗巣病)、天狗巣は、うしろの背景しだいで、緑色っぽく見えたり、褐色や黒に見えたりします。

【下書稿】では:

「緑のもあるし遠くの光の雲にかゝるのでは
 茶いろのもある。みんな立派だ。」

となっていました。天狗巣が「立派だ」と言う感覚は、ヤドリギを「きんのゴール」と呼んで愛した賢治の趣味なのかもしれません:

「あすこにやどりぎの黄金[きん]のゴールが
 さめざめとしてひかつてもいい」
(「冬と銀河ステーシヨン」)

《初版本》では、「いぢらしい小さな緑の旗」「みづみづした鶯いろの弱いの」という表現に変り、やや病的ですが、繊細な感じが加わってきました。
ピンク色の桜の花枝との対比で、天狗巣になった繁みの・繊細な暗い美しさを発見しているのだと思います。

いずれにしろ、天狗巣(天狗巣病の病巣)を見る賢治の感覚は、独自のものです。美しい桜の花を汚す不潔な病巣──という見方が、まったく窺われません。

第1章の「春光呪咀」や「谷」では、可憐な花々の美しさをすなおに賞でない賢治の感覚に、異和感を呈しましたが、

上のような天狗巣の描写を見ると、やはりこの特異な美感覚には、そそられるものがあります。

そういえば、桜の花そのものについても賢治は、

「さくらが日に光るのはゐなか風だ」
(「風景」)

と言ったり、
また、「パート3」では、黒土の上に落ちた花びらの美しさを述べていました。

世間一般の──私たちのような“お花見感覚”とは、かなり違うのだと思います☆

☆(注) 宮沢賢治に限らず、私たちは詩や小説に何を求めて読むのか?…ということですが、ギトンは、“自分にないものの見方や感覚を発見できるから”だと、一言で言えます。ギトンの“解読”を読んでいて、どうしてこんな細かいことにこだわるのか?──と感じられる向きもあるかと思いますが、たとえ小さなことであっても、読んでいて異和感や疑問を感じたときは、そこを掘り下げてゆくことによって、自分の知らなかった“見方”を学べることが多いのです。

. 春と修羅・初版本

26あんまりひばりが啼きすぎる
27(育馬部と本部とのあひだでさへ
28 ひばりやなんか一ダースできかない)

「育馬部」は、《農場本部》のすぐ東、《逢沢》の浅い谷を挟んだ対岸にありました:地図A
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