ゆらぐ蜉蝣文字


第3章 小岩井農場
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3.4.8


ちょっと脱線しましたが、
「パート3」に戻りますと、

. 春と修羅・初版本

40荷馬車がたしか三臺とまつてゐる
41生な松の丸太がいつぱいにつまれ
42陽がいつかこつそりおりてきて
43あたらしいテレピン油の蒸氣壓
44一臺だけがあるいてゐる。
45けれどもこれは樹や枝のかげでなくて
46しめつた黒い腐植質と
47石竹(せきちく)いろの花のかけら
48さくらの並樹になつたのだ
49こんなしづかなめまぐるしさ。

50この荷馬車にはひとがついてゐない

馬方のついていない荷馬車が1台だけ、ひとりでに歩き出しているのです。

45-49行目(49行目と50行目の間に空行があります)は別のことを書いているので、とりあえず飛ばしましょう。

この部分を【下書稿】で見ると:

「荷馬車が三台とまってゐる。
 松の丸太をつんでゐる。
 こっちの方へ向いてゐる。
 松の丸太はこゝには似合はないぞ。
 一台だけが歩いてくる。
 みちにいっぱい散ってゐる。
 まっくろな腐植質に
 石竹いろの花のかけら
 さくらの並木になったのだな。
 こんな寂かなめまぐるしさ。 
 この荷馬車には人がついてゐないな。」
【下書稿・手入れ後】

“並木道”のきれいな景観をじゃまするように、切り出したばかりの松材をこちらにむけて積んでいる荷車に対して、「松の丸太はこゝには似合はないぞ」と苦情を言う冗談が書かれていたわけです。
それでも、荷車の1台は、のこのこと、勝手に作者の方へ近づいて来るありさまです。

《初版本》では、「こゝには似合はないぞ」の替りに:

42陽がいつかこつそりおりてきて
43あたらしいテレピン油の蒸氣壓

という2行が追加されて、松材の芳香が強調されました。

童話『車』で見たように、このピネンの匂いは、作者に、自由で質素な放浪生活への憧れ☆を思い出させるのです。

☆(注) 少年の未分化性、ないし何者でもない者への溯行の願望と言い換えてもよいかと思います:佐藤通雅『宮沢賢治から〈宮沢賢治〉へ』,1993,学藝書林,pp.124-125,139-140.参照。

松の芳香から、気ままな自由への誘ないが、人のついていない荷馬車の逍遥という次の場面へと繋げています。
つまり、それだけ、勝手に歩き出した馬への同情の気持ちが強くなっているのだと思います。

45けれどもこれは樹や枝のかげでなくて
46しめつた黒い腐植質と
47石竹(せきちく)いろの花のかけら
48さくらの並樹になつたのだ
49こんなしづかなめまぐるしさ。

この部分も、↑上の【下書稿】と比べると、表現が改善されています。

“地面を見て歩いていたら、ピンクの花びらが落ちている。→いつのまにか、‘並木’はスギからサクラに変っていた”という驚きを表現しようとしているのは、どちらも同じです。
しかし、《初版本》では、最初に、

「けれどもこれは樹や枝のかげでなくて」

と、“変化”に気づく前の作者の認識を示しているので、判り易くなったと思います。

「でなくて」は、やはり否定語法を利用した描写──《心象スケッチ》特有の修辞法なのだと思います。

旧網張街道は、林の中の小径のような黒土の道が、防風林の間に細々と続いているのです。その湿った路面には、荷車の軟らかな轍も刻まれています。
いま、初夏の強い陽を受けて、密に繁った「樹や枝」が、地面に影を落としているのです。

「腐植質」は、腐った植物の遺骸と鉱物質が結合してできる土壌の表層部分。いわゆる“くろつち”です。

「石竹(せきちく)いろ」は、日本の伝統色でピンクにあたる色。うすい桃色です:画像ファイル・石竹色

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