ゆらぐ蜉蝣文字


第3章 小岩井農場
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3.4.2


農場の入口では、ハンノキなどの新緑の「青い木立ち」の下で、暗がりを流れる沢水が深く淀んでいます。

あとのほうで、↓次のように書かれていますから、「青い木立ち」は、ハンノキなどの樹種だと分かります:

31青びかり青びかり赤楊(はん)の木立

このような‘明’と‘暗’の対比、とりわけ、‘暗’つまり‘負のイメージ’のほうは、重要だと思います。

沢水は、単に暗いだけでなく、「鉄ゼルの fluorescence(蛍光)」を発しているのでした。

. 画像ファイル・蛍光(フルオレッセンス)
↑こちらに画像を集めておきましたが、紫外線(ブラックライト)を受けてさまざまな色彩に発光する蛍光物質は、ぼんやりと幻想的です。
現在では、蛍光染料、傾向顔料を使って、ブラックライトの下で見るための絵画やオブジェ──蛍光アートも行われています。

蛍光アートは、これから先の未来の時代に注目されるようになるのかもしれませんね。

蛍光アートを見ていると、
宮沢賢治の↓次のような詩句も、‘ブラックライト’を当てて見たら別様に見えるのではないか、という気がしてきます:

. 春と修羅・初版本「無声慟哭」

「信仰を一つにするたつたひとりのみちづれのわたくしが
 あかるくつめたい精進のみちからかなしくつかれてゐて
 毒草や螢光菌のくらい野原をただよふとき
 おまへはひとりどこへ行かうとするのだ
   〔…〕
 かへつてここはなつののはらの
 ちいさな白い花の匂でいつぱいだから
 ただわたくしはそれをいま言へないのだ
   (わたくしは修羅をあるいてゐるのだから)」
(「無声慟哭」)





「毒草や螢光菌のくらい野原」、「わたくしは修羅をあるいてゐる」という文句も、‘ブラックライト’のもとでは、異様な植物や茸が、ぼんやりと冷たく光る幻想的な場所のように思われます。
それは、明転すれば、いっきょに「白い花の匂でいっぱい」の「夏の野原」にもなる──と読んでみたらどうかと思うのです☆

☆(注) 賢治が傾倒していたと思われる『法華経』「如来壽量品」には、同じ世界が、信仰のある人には極楽のように思われ、悪業の報いを受けている人には、滅びようとする悲惨な世界に思われる、という思想が述べられています:⇒1.16.8

宮沢賢治の言う“修羅を歩く”とは、そういうことなのではないでしょうか。
ネガティブなこととして否定してしまえば、それまでですが、その暗がりのなかに秘かに光っているものを追いかけて行けば、もっともっと深い世界を発見できるのではないでしょうか。

. 春と修羅・初版本

10向ふの畑には白樺もある
11白樺は好摩からむかふですと
12いつかおれは羽田縣[属]に言つてゐた
13ここはよつぽど高いから
14柳澤つづきの一帯だ
15やつぱり好摩にあたるのだ

「県属」は、辞書を引くと、「県の事務を取り扱う役人」という説明があります。つまり県に所属する官吏のことです。単なる雇い人ではなく、一定の地位がある役人だと思います。
この時代には、“誰々県属”“誰々属”といった敬称が使われていたようです。

「羽田県属」は、当時稗貫郡の視学官★だった羽田正氏と思われます。畠山校長、葛博郡長とともに、宮澤賢治に、稗貫農学校の教諭になるよう要請した人です。

★(注) したがって、羽田氏は正確に言うと郡属であって県属ではないのに、なぜ「県属」(初版本の「県屈」は誤植)と書いたのか。ギトンは、音が“眷属”に通じるからだと思います。羽田氏は、賢治の父・政次郎氏と親しかったので、高等農林を出たのに、形だけ“家業手伝い”のニートをしている長男賢治について、政次郎氏の愚痴を聞いていたかもしれません。ちょうど農学校の農業担当教諭に欠員ができたので、お宅のぐうたら息子を鍛え直してみては?と薦めた形跡があります。“眷属”は、仏教用語では“魔王の一味”という意味があり、賢治の散文〔峯や谷は〕に「われは誓ひてむかしの魔王波旬の眷属とならず、/又その子商主の召使たる辞令を受けず。」とあります〔峯や谷は〕

賢治は、遠くの畑のそばに、白樺らしい白い幹の木が生えているのを見つけると◇、
かつて、羽田視学官に、岩手山麓の植生について、あやうい説明をした時のことを思い出して、冷や汗を感じているのです。賢治は、

「白樺が生えているのは好摩以北であり、それより南には生えません。」

などと断言したのですが、いま、農場の近くに白樺があるのを見て、いいかげんなことを言ってしまったと思っているのです。

◇(注) 10-15行目によって、当時このあたりは、カラマツなどの植樹がまだ成長していなくて、遠くまで見通しがきいたことが分かります。現在の景観:⇒写真 (l) 写真 (m)
.
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