ゆらぐ蜉蝣文字


第3章 小岩井農場
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3.3.5


. 春と修羅・初版本

28うしろから五月のいまごろ
29黒いながいオーヴアを着た
30醫者らしいものがやつてくる
31たびたびこつちをみてゐるやうだ
32それは一本みちを行くときに
33ごくありふれたことなのだ

次に、より最近の論者・天沢退二郎氏も、恩田氏の“作者分身説”を踏襲し、その上に自説を展開しています★

★(注) 天沢退二郎『宮澤賢治の彼方へ』,(初版1968)増補改訂版1977,思潮社,pp.114-118. 再録:同・編『「春と修羅」研究U』,1975,学藝書林,pp.46-50.

恩田氏は、「黒い外套の男」は実在の人物ではなく、虚構された“作者の分身”だと述べていましたが、

天沢氏の場合には、必ずしも実在しないとは言っていません。むしろ、たとえじっさいにスケッチ中に出会った人物だとしても、作者はその人物に自己を投影して、架空の“作者の分身”にしてしまう、ということのようです。

天沢氏は、↑前記の「パート2」28-33行目を引用したあと:

「それ
〔黒い外套の男〕は、風景のなかの彷徨者を彷徨者ゆえにおそうオブセッション〔obsession: 強迫観念、妄執〕であり、

この彷徨とは前にのべたように『書くこと』が本源的にまきこんだあのトータルな投企──もっと正確には、その投企がついに不可避的に詩人を連れこんだシチュエーションを指す。」
(『「春と修羅」研究U』,p.47)
〔 〕内は、ギトンの注。以下同様とします。

と論じています。

天沢氏の文章は、たいへん分かりづらいのですが、少しずつ読み解いていきましょう。

天沢氏の言う

「『書くこと』が本源的にまきこんだあのトータルな投企」

とは、同じ論文の p.40 によりますと、

賢治がこの日、小岩井農場で試みた“歩行詩作”(歩きながら、目に映る風景・情景、また脳裏に浮かぶさまざまなことがらを、リアルタイムに手帳に書き付けてゆく思索行ないし詩作行)を指しているようです。

天沢氏はこれを、

「ひとつの作品生成の場に自らを化さしめること」

〔詩というよりも〕はるかに全体的(トータル)な文字通りアクションとしての詩作」

とも呼んでいます☆。

☆(注) つまり、天沢氏は、賢治の《心象スケッチ》を、単なる事実の記録とも、“意識の流れ”の記録とも見ていないわけでして、全人間的なアクションと見ているようです。つまり、散歩しながら記録もする──ではなく、ひたすらに《スケッチ》を目的として、歩いたり見たりする行為、そして作者自身が、移って行く野原や森の木々や鳥たちを包摂する“場”になってしまおうとする行為──作者の全人間的な自己投企と見ているのでしょうか。

しかし、そのような“全人間的投企”としての“歩行詩作”は、全人間的であるがゆえの危険をはらんでいます。

それが、

「風景のなかの彷徨者を彷徨者ゆえにおそうオブセッション」

「投企がついに不可避的に詩人を連れこんだシチュエーション」

ということだと思います。

いわば、レクリエーションとしての気楽な散歩を捨てて、自分がまるごと“詩作するための存在”になりきって歩いてゆくとき、作者は、自分ひとりの独我的な意識に閉じこもらざるをえないことになります。

そのような“詩作歩行”を、極限にまで進めて行くと、詩作者の前には、さまざまな幻影が現れてくる──天沢氏は、そう言っているように思われます。




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