ゆらぐ蜉蝣文字


第3章 小岩井農場
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3.3.2


. 春と修羅・初版本

03しかし馬車もはやいと云つたところで
04そんなにすてきなわけではない

遠雷の“たむぼりん”で軽快な気分になったおかげで、追い越して行った馬車に対しても、今はもう、乗れなかったことを気にしていません☆

☆(注) もっとも、作者は最初から、馬車に乗れなかったことに、それほど拘ってはいなかったのです。「パート1」でも、「ひらつとわたくしを通り越す」「いかにもきさくに馳けて行く」「大きくゆれるしはねあがる」などと、馬車の様子を、ほとんど楽しげに描いていました。まわりの風景・状況が、作者の歩行にしたがってどんどん動いてゆく、フィルム映像のような《心象スケッチ》の特徴が、快活さをもたらしているのです:「これがじつにいヽことだ/どうしやうか考へてゐるひまに/それが過ぎて滅くなるといふこと」(パート1)。「パート1」にあった「丘かげの茶褐部落」にしても、実体は寒村であっても、人々を懐かしげに無言で抱擁する“うるうるした”七ツ森の「丘かげ」なのです。「賢治は平気でかれらを──でっかい山や野原を、仲のよいイトコ・ハトコ扱いにしている」(儀府成一『人間宮澤賢治』,p.20)。

05いままでたつてやつとあすこまで
06ここからあすこまでのこのまつすぐな
07火山灰のみちの分だけ行つたのだ
08あすこはちやうどまがり目で
09すがれの草穂(ぼ)もゆれてゐる
10 (山は青い雲でいつぱい 光つてゐるし
11  かけて行く馬車はくろくてりつぱだ)

「ちやうどまがり目」は、駅からの細い路が、(旧)網張街道に達するT字路と思われます(『賢治歩行詩考』,p.30)。馬車は、いま、T字路に差しかかって、農場のほうへ左折するところです:地図:「小岩井農場」パート1 地図B 写真 (e) (f)

T字路には、「すがれの草穂もゆれて」います。「すがれ」は、“すがれる”を辞書で引きますと:

すが・れる【尽れる/末枯れる】
「草木が盛りの季節を過ぎて枯れはじめる」
(デジタル大辞泉)

「草木などが,冬が近づいて枯れはじめる」
(大辞林)

とあります。「すがれ」は、その名詞化ですから、T字路のわきに、ススキなどの丈高い草が、枯れて立っているのでしょう。

12ひばり ひばり
13銀の微塵(みぢん)のちらばるそらへ
14たつたいまのぼつたひばりなのだ
15くろくてすばやくきんいろだ

このあと、8ページの上部まで、ヒバリの描写が続きます。

16そらでやる Brownian movement
17おまけにあいつの翅(はね)ときたら
18甲蟲のやうに四まいある
19飴いろのやつと硬い漆ぬりの方と
20たしかに二重(ふたへ)にもつてゐる

「Brownian movement」は、ブラウン運動↓↓:デンプンや塗料、顔料の粉のような微粒子が★、水中などで熱運動する分子の不規則な衝突を受けてランダムウォーク(不規則歩行)する現象。
アインシュタインによって、分子の運動に基く現象であることが解明されました。


    
ブラウン運動:(左)水中の発光ラテックス粒子 (右)数学的シミュレーション(5粒子2次元)


★(注) 日本では、水の中で‘花粉が運動する’という誤った説明が横行していました(ブラウン運動にまつわる誤解)。花粉は粒子が大きすぎるので、ブラウン運動をしません。↑Wikiによると、日本での誤解は、1910年の長岡半太郎の講演に始まり、 湯川秀樹の著書や『岩波理化学辞典』によって誤解が広まったようです。賢治の時代の科学啓蒙書はまだ‘花粉’とは書いていなかったようですから、賢治は誤解を免れていたかもしれません。
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