ゆらぐ蜉蝣文字
□第3章 小岩井農場
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3.10.4
この3人の幻影については、【下書稿】先のほう(ロバと少年の写真の下)では、次のように言っています:
. 「小岩井農場・パート9」【下書稿】
「あなた方はけれどもまだよく見えません。
眼をつぶったらいゝのですか [眼をつぶると天河石です、又月長石です。]
おゝ何といふあなた方はきつい顔をしてゐるのです
光って凛として怖いくらゐです。
羅は透き うすく[、そのひだはまっすぐに垂れ]鈍い金いろ、
瓔珞もかけてゐられる
あなた方はガンダラ風ですね。
【沙車や西】タクラマカン砂漠の中の
古い壁画に私はあなたに
似た人を見ました。」
この厳(いかめ)しい眼つき・表情の描写は、『インドラの網』の次の部分と照応しているように思います:
. 『インドラの網』
「『お早う、于闐大寺の壁画の中の子供さんたち。』
三人一緒にこっちを向きました。その瓔珞のかゞやきと黒い厳[いか]めしい瞳。
〔…〕
『お前は誰だい。』
右はじの子供がまっすぐに瞬[またたき]もなく私を見て訊ねました。〔…〕
『何しに来たんだい。』少しの顔色もうごかさずじっと私の瞳を見ながらその子はまたかう云ひました。」
つまり、この3人は、「〔みあげた〕」で、崩壊した壁から飛び出して来たミーランの3人の《有翼天使》だと思うのです。
しかし、他方で、(3.10.2 までで考察したように)この3人は、《アザリア》の仲間──作者自身を除いた3名──に、ほかなりません:
. 「小岩井農場・パート9」【下書稿】
「ユリアが私の右に居る。私は間違ひなくユリアと呼ぶ。
ペムペルが私の左を行く。透明に見え又白く光って見える。
ツィーゲルは横へ外れてしまった。」
ところで、彼らが《アザリア》の3名だとしたら、「ユリア」は誰で、「ペムペル」は誰なのでしょうか?‥
「ユリア」は、第1章の「手簡」でも現れていましたし、しばしば作者によって、
「おゝユリア」
と呼びかけられています。
ギトンは、「ユリア」が保阪嘉内に他ならないと思うのです。
賢治が、これほど“心のよすが”とする“心友”は、保阪をおいて他にはいないと思うからです。
ところが、菅原千恵子氏、岡澤敏男氏、その他多くの研究者が、「横へ外(そ)れ」た「ツィーゲル」が保阪だとしておられるのです。
これは、保阪と宮澤の《訣別》説──1921年7月の会見で、ふたりは宗教問題で決裂し絶交状態になったとする説──を前提にしているからだと思います。
しかし、“21年7月の決裂”という説には、実証的な疑問があります:⇒たったひとりの恋人──保阪嘉内
また、ふたりの間の付き合いの自然な流れとしては、むしろ、賢治が法華宗へ強く勧誘し、嘉内があくまで拒否するというパターンで、1918年以来何度も“決裂”と“仲直り”を繰り返してきたのだと、ギトンは思います。
“決裂”してもすぐに“仲直り”してしまうほど、この二人は互いに相手を必要としていたし、また、良くも悪くも“恋人”としての甘い関係が、ずっと続いていたと思うのです。
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