ゆらぐ蜉蝣文字


第3章 小岩井農場
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3.7.29


これに比べると、熊などはずっと強暴で、人間に遭遇した場合に、襲ってくる可能性が高いのです。強暴だから、‘退治’できない、絶滅させられないのです。

ヤマイヌは、明治以後、人間に追われて急速に絶滅してしまったことから考えても、比較的温順な習性を持っていたのではないかと、想像できます。

ところで…、
宮沢賢治が、このように描いている日本の狼を、ヨーロッパの伝説や童話に描かれた狼と比べてみると、どうでしょうか?

ずいぶん違いますね。子どもたちと狼が、焚き火を囲んで戯れているなどという図は、ヨーロッパでは全く考えられないでしょう。

グリム童話の『狼と七匹の仔山羊』など、ヨーロッパの伝説、童話に出てくる狼は、常に悪者で、しかも、恐ろしい、ずるい悪者です。人間にとって、妥協の余地のない敵なのです。

しかし、日本の狼は、(賢治童話以外は未調査ですが)いたずらをする森の妖精のような存在なのではないでしょうか。

この違いは、牧畜社会(ヨーロッパ)と、農耕社会(日本、東アジア)との相違に基いているとも云われます。

ヨーロッパでは、狼は、牛、羊などの家畜を食い殺す悪者ですが、
日本では、田畑を荒らす鹿や兎を退治してくれる善玉なのです。それが江戸時代の中ごろ以後は、どうして駆除の対象にされてしまったのか、…よく分かっていないようです。

賢治の描く‘狼のいる世界’は、土俗的な自然と人(開拓民たち)とが、日常的に一種ふしぎな交渉をする世界です。そこでは、人界と異界とが曖昧な境を介して接しており、境界はいつも流動的です。

そして、人と自然(森、獣、「山男」と呼ばれる山の精霊)とは、互いに相手の領域に入り過ぎないように警戒しながら、互いの領域を認め合っています。

人は、山の産物を利用するとともに、山に‘御礼’を返すというルールが、自然との交渉を重ねる中で、形成されてゆくのです。

ちなみに、日本の古典で、狼(山犬)が本格的に登場する話は、非常に少ないと思います:

『今昔物語』巻第29 「母牛突殺狼語」(仔牛を狙っていた狼が、逆に母牛に突き殺される話)

『古今著聞集』巻20,675話(行幸の際に天皇が落とした「いしづき」[剣の鞘の先につける金具]を、「御犬」が咥えて届けて来た話)

があるくらいです。
それにしても、あまり怖くないですね。

日本のような農耕社会では、
狼は、鹿、猿、狐、狸と違って、直接人間との間で交渉することは、稀だったのではないでしょうか?

遠い存在なので、神として祭られたのかもしれません。

東国では、狼を祭神とする神社は、数多いと思います。東京都でも、奥多摩の臼杵山山頂と御前山中腹には、狼の石像を置いた祠があります。

しかし、中央(近畿以西)では、中国古典の影響で、狼を悪いイメージで考えていたかもしれません。

近世以降は、それが思想として、東国にも広まったので、実際に害は無くとも、駆除の対象にされてしまったのではないでしょうか。

. 春と修羅・初版本
さて、
「小岩井農場」に戻りますと、「パート7」の次の章題は、「パート9」になっています。

つまり、「パート8」がありません。「パート5」「パート6」と違って、章題も出ていません。

また、「パート8」は、下書きもまったく残っていないのです。



鑾野御前神社のオオカミ石像(東京都檜原村)  

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