ゆらぐ蜉蝣文字


第3章 小岩井農場
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3.7.24


「げにもひとびと崇むるは
 青き Gossan 銅の脉
 わが索むるはまことのことば
 雨の中なる真言なり」
  (『文語詩未定稿』「早春」より)

地上から見えない鉱脈を探り当てることは、人々にとって稀有な幸運であるように、

詩人にとっての「まことのことば」もまた、空の彼方から不意に降り注いで来る雨の中に、ようやくその微かな響きを聞き分けることができるのです◇

◇(注) 「一面に降り注ぐ〈沈黙の言葉〉の中から詩人は、おそらく鉱山技師たちが幸運にも露頭から鉱脈を探り当てるようにして、《まことのことば》の微かな反響を思いがけず感じ取るに違いないのであり、そうした《まことのことば》への遠く近い道筋こそが、賢治テクストと呼ばれる言葉の連なりにほかならないからである。」平澤信一『宮澤賢治《遷移》の詩学』,2008,蒼丘書林,p.223.

ここで、「パート7」の最後に戻って、「フライシュッツ」について検討します。

. 春と修羅・初版本

130自由射手(フライシユツツ)は銀のそら
131ぼとしぎどもは鳴らす鳴らす
132すつかりぬれた 寒い がたがたする

「フライシュッツ」(Freischuetz)は、ドイツのカール・マリア・フォン・ウェーバー作曲の歌劇で、日本ではふつう『魔弾の射手』と訳されています。
「フライ:frei」は、英語の free です。

「フライ・シュッツ」(Freischuetz 自由射手)とは、「フライ・クーゲル」(Freikugel '自由弾丸'、魔弾)という・自分の意のままに的に当てることのできる弾丸を、悪魔から手に入れた狩人の話です。

つまり、「自由射手」とは、自由自在に的を射る者、悪魔に魂を売った射手──という意味です。

しかし、なぜここで、ドイツのオペラが出てくるのかというと…

ウェーバーの劇の中で、主人公たちが、魔弾を手に入れるために、悪魔と取引する場所が、真夜中の“狼谷”(Wolfsschlucht)なのです。つまり、賢治は、‘狼ノ森のそばの狼谷’という語呂合わせで・このオペラを登場させたのだと、ギトンは考えます。

そこで、例によって『魔弾の射手』のあらすじをご紹介したいのですが…
ネットでちょっと調べてみて驚いたのは、日本語で出ているあらすじは、みな簡略すぎて、肝心なことが書いてないのですよw…
というか、この歌劇、もともとドイツの『怪談集』という本に出ていた話を脚色したものなので…、とにかく怖い話なのですよ…ホラーとは別の意味でね。。。

ほんとのあらすじが分かったら、オペラを見に来る人が減るんでしょうね、きっとww…すくなくとも、家族連れとかでは来られなくなるでしょうw…ゆーわけで、日本では、ほんとのスジが分からないようにしてる…だから音楽の教科書にも載せてられる…ような気がします…

なので、この際、wiki のドイツ語版からアラスジを翻訳することにしました:魔弾の射手(前篇) 魔弾の射手(後篇)





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