ゆらぐ蜉蝣文字
□第3章 小岩井農場
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3.7.12
. 春と修羅・初版本
46白い種子は燕麦(オート)なのだ
47 (燕麦(オート)播ぎすか)
48 (あんいま向(もご)でやつてら)
49この爺さんはなにか向ふを畏れてゐる
50ひじやうに恐ろしくひどいことが
51そつちにあるとおもつてゐる
52そこには馬のつかない廐肥車(こやしぐるま)と
53けわしく翔ける鼠いろの雲ばかり
46行目は、【下書稿】では、
「細い細い畦ができて白い燕麦の種子が落とされてゐる。」
となっていました:画像ファイル:エンバク
しかし、じっさいの播種作業は、斜面の起伏に隠れて、作者と老農夫のいる位置からは見えないのです:写真 (リ)
老農夫は、“エンバクの種まきは、いま向こうでやってるよ”と言うのですが、そちらは、畑の頂きに車が置いてあるのが見えるだけで、その上は雨雲の翔けてゆく空しか見えません。
【下書稿】では:
「向ふのは馬のつかない二つの車
その上はすぐ空になってゐる。
ぎらぎら光って鼠色の雲がかけてゐる。」
広い畑に起伏があるので、車の向こうでしている播種作業は、ここからでは見えません。
しかし、「馬のつかない廐肥車(こやしぐるま)」の置いてある風景から、播種作業が始まっていることは推測できるのです。
岡澤氏によると:
「廐肥車というのはスプレッダーとよぶ二頭曳の肥料撒布車のことでした。」(『賢治歩行詩考』p.104)
つまり、スプレッダーの馬が外されているのは、すでに肥料を撒布し終って、播種作業に入っているからなのです。
49この爺さんはなにか向ふを畏れてゐる
50ひじやうに恐ろしくひどいことが
51そつちにあるとおもつてゐる
52そこには馬のつかない廐肥車と
53けわしく翔ける鼠いろの雲ばかり
54こはがつてゐるのは
55やつぱりあの蒼鉛(さうえん)の労働なのか
「蒼鉛の労働」とは、つらく激しい労働という意味でしょうか。
「蒼鉛」とは、ビスマスのこと:銀白色の金属元素です:画像ファイル:蒼鉛
しかし、どうも、賢治は、この語を、銀白色ではなく、字面どおりに“蒼い鉛色”という意味で使っているようなのです。
老農夫の指す「けわしく翔ける鼠いろの雲ばかり」の空の様子は、雨の中での作業が見えるより以上に、「蒼鉛の労働」の困難さを示しています。
しかし、単に、雨に濡れて作業がたいへんだ、というだけではありません。
火山灰土の耕地では、雨が降り出すと、播種作業は非常に困難になるのだそうです。
老農夫が雨雲の空を見やりながら、「ひじやうに恐ろしくひどいことが/そつち〔播種作業が始まっているらしい‘地平線’の向こう側〕にある」様子で怖がっているのは、実は、もっともなことなのです。
岡澤氏によると、小岩井農場の土壌は、火山灰を多量に含んでいるために、
雨が降ると圃場の土は「黒く湿潤してべとべとになり、軽い燕麦の種子を覆土する芝ハロー★もつかえなくな」るのです(『賢治歩行詩考』,pp.106,125)
★(注) 「芝ハロー」は、枯れ枝などを編んだものを牛や馬に挽かせて、畑に蒔いた穀物などの種子に覆土する用具です。中国にも日本にも古くからある畜力農具ですが、漢字の意味からすると、おそらくもとは“柴ハロー”と書いたのではないかと思います:画像ファイル:芝ハロー。なお、小岩井農場における畜力・動力による機械化の歴史については:写真 (ソ)〜(ナ)
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