ゆらぐ蜉蝣文字
□第3章 小岩井農場
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3.7.10
. 春と修羅・初版本(第1章、「春と修羅」)
38ことなくひとのかたちのもの
39けらをまとひおれを見るその農夫☆
40ほんたうにおれが見えるのか
広重の「平塚」と、なんとピッタリと符合するのでしょうか!!‥‥
☆(注) 菅原千恵子氏の解釈では、この作品「春と修羅」の「農夫」は、保阪嘉内を暗に指しています:『宮沢賢治の青春』,角川文庫,pp.158-159.
そして‥
「ほんたうにおれが見えるのか」は、賢治が‘農夫’に向かって投げているのではなく、
逆に‘農夫’が賢治に向かって投げているセリフではないかとおもわれるほど、‥‥
ここには二律背反的な・のっぴきならない深淵、対立があります。
しかし、いま、“透きとおった雨”の降りしきる小岩井農場において──嘉内との‘青春’の舞台であった・この農場で、
賢治は、この深淵を踏み越え、対立を止揚せんとしているのです……
「天より来たる御身は
なべての苦痛を鎮むる者
二重の悲哀にあえぐ者を
二倍の活もて満たす者
‥‥‥‥
甘き安らぎよ!」(ゲーテ「旅人の夜の歌」)
天から静かに落ちてくる水滴は、単なる癒しではありません。
それが「まことのことば」をもたらすことを、作者は願っているのです。
遠くなってしまった心友‥、かつて“銀河の下”で永遠の絆を誓った恋人‥、一心同体であるはずだった“もうひとりの自分”‥、深渕の彼方に去った青春の影★
──かけがえのない友に対して、作者は、何とかして心を開きあい、かつての調和を取戻したいと願っているのではないでしょうか‥
★(注) 1922年2月発行の河本緑石(義行)らの同人誌『砂丘』2号に、保阪嘉内は「審判の日よ来れ」というエッセイを掲載、その中で「陸中花巻なるM─忍苦の人」を批判しているそうです。しかし、エッセイの全体を読まなければ、保阪の真意はつかめないと思います。全体の内容趣旨、また、それを賢治が読んだのかどうか‥、などなど突き止めないと、この時期の保阪・宮澤の関係は解明できないと思っています。
. 春と修羅・初版本「パート7」
17トツパースの雨の高みから
18けらを着た女の子がふたりくる
19シベリヤ風に赤いきれをかぶり
20まつすぐにいそでやつてくる
21(Miss Robin)働きにきてゐるのだ
ちょうど、透き通った雨脚のかなたから降りてくるかのように、2人の少女が坂を駆け下りて来ます。そのまま「農夫」のわきをすり抜けて、賢治にぶつかってしまいそうな勢いです。
山深い地方に特有の樹皮布の「けら」を付け、シベリア農民のようにあざやかな赤い‘プラトーク’をかぶった少女たちは、もう一人前に働いているのです。
思わぬ「雨」の襲来は、作者を元気づけると同時に、一身の悲しみのために頑なになっていた心を、融かすかのようです。
そこで、作者は、「ぐちゃぐちゃ」の湿地に足を取られることもなく、これを手際よく「すぱすぱ渉って」、「トッパースの雨の高み」へと駆け上がって行きます。
「透明なもの燃えるもの/息たえだえに気圏のはてを/祈ってのぼってゆくもの」(【清書稿】第6綴)は影をひそめ、
かわりに、周囲の世界に溶け込むように、澄みきった安らぎが、人々の心を浸して行きます。
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