ゆらぐ蜉蝣文字


第3章 小岩井農場
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3.6.34


菅原千恵子氏は:

「嘉内が犬に吠えられたことを歌にして詠んだとき、賢治と嘉内との間にどんどん話が発展し、『犬』ということばそのものがまことの道からそれて歩き出す者を監視したり番をしたりする存在としての意味を持たせて使っていたのではないか」
(『宮沢賢治の青春』,角川文庫,p.135)

つまり、賢治と嘉内の間では、

‘吠える犬’は、二人で固く誓い合った理想から、離れて行かないように、二人を監視する役目をもった存在であったというのです。

もし、そうだとすると、

「それに姥屋敷ではきっと
 犬が吠えるぞ 吠えるぞ。
 殊によったら吠えないかな。」

は、
このまま‘網張への道’★を進んで行けば、“理想から外れた者!挫け去った者!”と、監視役の‘吠える犬’にののしられるのが、現在の自分の姿なのではないかと思われるのです。

★(注) 3.6.31←こちらに書いたように、賢治は、‘網張’には、「青柳教諭」や、中学の仲間たちとの甘美な思い出があるのだと思います。

そういえば、その前の行:

「鞍掛は光の向ふで見えないし」

も、目標を見失っているという意味にとれます。

. 「小岩井農場」【清書稿】
(一本桜の写真のすぐ下です)
「かなりの松の密林だ。
 暗くていやに寂しいやうだ。
 雲がずゐぶん低くなった。
   〔…〕
 かれ草だ。何かパチパチ云ってゐる。
 降って来たな。降って来た。
 しかし雨の粒は見えない。
 そらがぎんぎんするだけだ。
 顔へも少しも落ちて来ない。
 それでもパチパチ鳴ってゐる。
 草がからだを曲げてゐる。
 雨だ。たしかだ。やっぱりさうだ。
 降り出したんだ。引っ返さう。」

  



「堰」から、道に沿って、「暗くていやに寂しい」「松の密林」の中に入って行くと:小岩井農場略図(2) 写真 (ヲ)〜(カ)

「大きなみちがある〔…〕間違ひない」と思っていた道も怪しくなり、先で犬に吠えられるのが予想されて気になります。

そして、ついに、雨が降り出しました。

雨の急な降り始めは身体には感じられず、雨が草をたたく音だけがまず耳に入ります。
やがて顔や衣服に水滴が感じられるようになります。
「草がからだを曲げてゐる。」と言っていることから、降り出しからかなり強いにわか雨のようです。風も出ています。
こうして、賢治は、松林の中できびすを返して、来た道を戻り始めます…

この《降雨開始→折り返し》というプロットの転回点は、「パート2」の:

「たむぼりんも遠くのそらで鳴ってるし
 雨はけふはだいじやうぶふらない」

という兆候以来、何度も伏線で予告されていました。
.
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