ゆらぐ蜉蝣文字


第2章 真空溶媒
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2.1.8


他方、「津軽海峡」(1923.8.1.)などでは:

「いままではおまへたち〔…〕と
 苹果を食ったり遺伝のはなしをしたりしたが
 いつまでもそんなお付き合ひはしてゐられない。」

とあるように、“リンゴを食べたり”は、ほとんど意味のない行為の例として持ち出されています。

それはともかく、「真空溶媒」では、さきのほうを読んでいきますと、「ゾンネンタール」は、どうやら《赤鼻紳士》の仲間の金満家のようで、食べて死んだという「りんご」も、金むくの「りんご」のようです:




. 春と修羅・初版本
51 (りんご、ああ、なるほど
52  それはあすこにみえるりんごでせう)
53はるかに湛(たた)える花紺青の地面から
54その金いろの苹果の樹が
55もくりもくりと延びだしてゐる
56 (金皮のまヽたべたのです)
57 (そいつはおきのどくでした

《赤鼻紳士》が金満家なので、「おれ」がその話をからかって、「金いろの苹果の樹」を持ち出すと、《赤鼻紳士》も「おれ」に話を合わせて、「金皮のまヽたべた」から、中毒して死んだのだ、という話になって行きます☆

☆(注) 金(きん)は消化されませんから、中毒することはないはずです。これも、《赤鼻紳士》の無知を揶揄しているのでしょう。賢治ファンも揶揄されないように気をつけなければいけませんねw

夢の中ですから、登場人物の話の内容に合わせて、どんどん現実が作られて行きます。

“リンゴにあたって(中毒して)死んだ”というのも奇妙な話ですが、
作者が「それはあすこにみえるりんごでせう」などと指差すと、
幹も果実も金色なリンゴの木が、地面から「もくりもくりと延び」て来るのです。

うがって考えれば、

「りんご」=家族の団欒 ⇒ 家族を養うには金儲けが大切 ⇒ 金の「りんご」 ⇒ しかし、皮を剥かないで食べると中毒して死ぬ ⇒ 家族を持つ幸せとひきかえに、金(きん)=貨幣に中毒して死ぬ‥

という含みがあるのかもしれません。

そういえば、この一人称の「おれ」は、あとのほうで明らかになりますが、職業は牧師です。

「花紺青」(スマルト)は、コバルトガラス(酸化コバルトを石英ガラスに溶かしたもの)の粉末で、青色の顔料(岩絵の具)です:画像ファイル・花紺青
絵や磁器に塗られて発色したものは濃い藍色(紺青色)に見えますから、「はるかに湛える花紺青の地面」は、遠方の景色のように暗い藍色をしているのでしょう。

57 (そいつはおきのどくでした
58  はやく王水をのませたらよかつたでせう)
59 (王水、口をわつてですか
60  ふんふん、なるほど)
61 (いや王水はいけません
62  やつぱりいけません
63  死ぬよりしかたなかつたでせう
64  うんめいですな
65  せつりですな

「はやく王水をのませたらよかつたでせう」は、あまりにひどい出鱈目です。金(きん)は毒ではありませんが、王水は激しい劇薬です。

「王水」は、濃塩酸と濃硝酸を混合した液体で、金(きん)を溶解します。
王水を飲ませて金を溶解すれば、金に‘中毒’しないですんだだろうというのですから、むちゃな話です。
ところが《赤鼻紳士》は、それを聞いて、「ふんふん」などと感心しているので、「おれ」は慌てて訂正しています。

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