ゆらぐ蜉蝣文字


第2章 真空溶媒
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2.1.26


. 春と修羅・初版本

211  ところがどうもおかしい
212  それはわたしの金鎖ですがね)
213 (えヽどうせその泥炭の保安掛りの作用です)
214 (ははあ 泥炭のちよつとした奇術(ツリツク)ですな)
215 (さうですとも

《赤鼻紳士》は、《保安掛り》の持ち物の中に、自分の「金鎖」★を発見します。

★(注) 「金鎖」は、辞書には適当な語義が見あたらないのですが、
‘きんくさり’と読んで、金の懐中時計に付ける金の鎖を言っているのだと思います:画像ファイル・金鎖

「泥炭の保安掛りの作用」「泥炭のちよつとしたツリック」は、《保安掛り》が「金鎖」を掠め取ったことを皮肉って、二人で《保安掛り》に当てつけて楽しんでいるのですが、
《赤鼻紳士》が、《保安掛り》の“トリック”だと言っているのは、おもしろいと思います。
つまり、《赤鼻紳士》の立場からすれば、軍人である《保安掛り》は、“精神”を振りかざし、トリックを弄して財産を奪おうとするやからなのです。

しかし、《赤鼻紳士》は単なる守銭奴ではありません。
追いかけて取り戻した自分の北極犬を、親切にも《牧師》に貸し与え、
《牧師》はその犬に導かれて、もとの世界に戻って行くことができるのです。高価な財産を貸し与えるにあたって、惜しむふうは見られません。

216  犬があんまりくしやみをしますが大丈夫ですか)
217 (あにいつものことです)
218 (大きなもんですな)
219 (これは北極犬です)
220 (馬の代りには使へないんですか)
221 (使へますとも どうです
222  お召しなさいませんか)
223 (どうもありがたう
224  そんなら拝借しますかな)
225 (さあどうぞ)

最初の登場の時には、欲張りな金満家だと思われていた《赤鼻紳士》ですが、
…作者《牧師》とともに、《保安掛り》による被害を被ったあとは、一転して、親切で誠意のある人物として描かれているのです。

ここには、作者の思想が現れているのかもしれません。宮沢賢治と言えば、精神主義と思われがちですが、じつは必ずしもそうではない。
むしろ、《赤鼻紳士》のような拝金主義に近い“物質主義”に対しても、いちがいに否定する態度は持っていないのだと思います。

「おれ」《牧師》は、《赤鼻紳士》の“物質主義”によって、窮地から救われています。
成金の俗物と思われていた《赤鼻紳士》は、一皮剥けば、むしろ親切で真心のこもった振る舞いをするのです。

226おれはたしかに
227その北極犬のせなかにまたがり
228犬神のやうに東へ歩き出す
229まばゆい緑のしばくさだ
230おれたちの影は青い沙漠旅行
231そしてそこはさつきの銀杏の並樹

こうして、作者は、《赤鼻紳士》の犬にまたがって《人界》に戻って行きます。
この詩集の最初から、《人界》に入って行こうとしては拒否され続けてきた作者(「ひとりの修羅」)が、ここではじめて、
現実世界への頼りがいある通路を見いだしているのかもしれませんね。

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