ゆらぐ蜉蝣文字


第2章 真空溶媒
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2.1.22



183ことにも 白いマヂエラン星雲

「マヂエラン星雲」は、大・小マゼラン星雲(大・小マゼラン銀河)のこと。二つとも、私たちの銀河系の回りを公転している小さな銀河です。
南半球では肉眼でも、天の川のそばに白く見えるそうです。しかし、天の南極近くにある天体なので、日本からは、まったく見ることができません:画像ファイル・マゼラン星雲

ところで、マゼラン星雲と言えば、『銀河鉄道の夜』で、カンパネルラが居なくなったあと、列車の外にマゼラン星雲が輝くのを見て、ジョバンニが“幸福の誓い”を新たにする場面☆がありましたね。

☆(注) この場面は、〔最終形〕では削除されているので、現行の新潮文庫版などには、ありません。

「『カムパネルラ、僕たち一諸に行かうねえ』
 ジョバンニがなんとも言へずさびしい気がしてふりかへって見ましたらそのいままでカムパネルラの座ってゐた席にもうカムパネルラの形は見えずたゞ黒いびらうどばかりひかってゐました。

  ジョバンニはまるで鉄砲丸のやうに立ちあがりました。そしてはげしく胸をうって叫びました。
 『さあ、やっぱりぼくはたったひとりだ。きっともう行くぞ。ほんたうの幸福が何だかきっとさがしあてるぞ。』

 そのときまっくらな地平線の向ふから青じろいのろしがまるでひるまのやうにうちあげられ汽車の中はすっかり明るくなりました。そしてのろしは高くそらにかゝって光りつゞけました。
 『あゝ マジェランの星雲だ。さあもうきっと僕は僕のために、僕のお母さんのために、カムパネルラのためにみんなのためにほんたうのほんたうの幸福をさがすぞ。』
 ジョバンニは唇を噛んでそのマジェランの星雲をのぞんで立ちました。

 天の川を数知れない氷がうつくしい燐光をはなちながらお互ぶっつかり合ってまるで花火のやうにパチパチ云ひながら流れて来向ふには大犬座のまばゆい三角標がかゞやきました。」

(『銀河鉄道の夜』〔初期形一〕:『新校本全集』第10巻「本文篇」p.27.による。ただし、段落分け=ギトン)

この〔初期形一〕は、現存する最も古い形で、1924年内に成立したと思われます◇

◇(注) 〔初期形一〜三〕は『春と修羅』の《印刷用原稿》と同じ用紙が用いられており、〔初期形一〕は、《初版本》印刷直前に割愛された詩「自由画検定委員」の《印刷用原稿》の裏に書かれています。賢治は1924年12月に友人らを集めて『銀河鉄道の夜』を読んで聞かせたという回想があるので、少なくとも〔初期形一〕は、この時までに書かれていたと推定できます。

つまり、この『春の修羅・第1集』執筆時代には、マゼラン星雲は、賢治にとって非常に重要なシンボルだった──保阪との“二人三脚”が破綻したあとも、灯火のように、賢治の将来に向かっての決意を支える「のろし」のようなものだったと思われるのです◆

◆(注) ちなみに、〔初期形一〕では、カムパネルラが「あすこが本当の天上なんだ」と叫ぶがジョバンニには見えない、という例の最後の場面はまだなく、“石炭袋”を見た直後にカムパネルラが居なくなってしまうプロットになっています。カムパネルラは“石炭袋”に吸い込まれて消えてしまったのか、“石炭袋”に恐れをなして逃げ出したのか(笑)‥も、よく分かりません。そもそも、“カムパネルラの水死”という設定が無かったようなのです(“カムパネルラの死に遭ふこと”と、〔初期形一〕以後の改作メモに書かれています)。現実の賢治が経験した保阪との“訣別”の筋書きに、より近いと言えますが、‥「お前は夢の中で決心したとほりまっすぐに進んで行くがいゝ」という・地上に戻って来たあとのブルカニロ博士の言葉が、そらぞらしく聞こえるくらい、ジョバンニにとっては、残酷な結末になっているように感じます。

マゼラン星雲は、(〔初期形〕では)《銀河鉄道の旅》の最後に現れる天体です。
あたかも、ジョバンニは、この星雲を目指して旅をしてきたようにさえ見えます‥

ジョバンニの前にマゼラン星雲が現れた時の情景を、もう一度引用しますと:

「まっくらな地平線の向ふから 青じろい のろしが まるでひるまのやうに うちあげられ 汽車の中は すっかり明るくなりました。そして のろしは 高くそらにかゝって 光りつゞけました。」

↑「のろし」と言われているのが、マゼラン星雲なのです■

■(注) ↑上の画像ファイルを見ると、大小マゼラン星雲よりも、その隣に見える南半球の天の川のほうが、煙が高く立ち昇っている姿で、「のろし」に似ていますね。『夜』のテキストの「のろし」が「マジェランの星雲」を指していることは、文脈上まちがえないと思いますが、賢治が見まちがえたことはありえないでしょうか?! 宮澤賢治は南半球へ行ったことはありませんから、図鑑の写真などでマゼラン星雲を見たのだと思いますが、高性能の望遠鏡を備えた天文台がまだ無かった当時、マゼラン星雲は、天の川の隣に小さく写っている写真が多かったのではないかと思うのですが。/そこで、さらに↓こうは考えられないでしょうか?地上から見ると、たしかに南半球では、銀河系(天の川)が「のろし」に見えるわけですが、ジョバンニのように、天の川の“銀河平面”の上で、“天の南極”近くから銀河系外を望むと、隣の銀河(マゼラン雲)が「のろし」の形に立ち昇って見えるのではないか?(天文学的には間違っているかもしれませんが、賢治がそう思ったことは想像できるのではないでしょうか)


. 春と修羅・初版本

184草はみな葉緑素を恢復し
185葡萄糖を含む月光液は
186もうよろこびの脈さへうつ

昆布やワカメのように茶色くなっていた草も「葉緑素を恢復し」て、もとの緑色になり、
光合成で生成した糖★を含む液が、草の茎を脈々と流れます。

★(注) 「葡萄糖を含む月光液は…」と書いていますが、残念ながら間違いです。植物の葉では、光合成産物としてデンプンを作ります。これを、茎の維管束を通じて輸送するときには、スクロース(蔗糖)に転換します。グルコース(ブドウ糖)にして運ぶのではないのです。もしグルコースにすると、還元性グルコースが一定割合含まれてしまい、還元性グルコースは、タンパク質や酵素を変質させてしまうなど、植物体にとって有毒だからです。ブドウ糖輸送、そして“脈を打つ”は、植物ではなく、むしろ動物の血管と同じです。このクダリは、草を動物のように描いていることになります。

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