ゆらぐ蜉蝣文字


第2章 真空溶媒
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2.1.20


. 春と修羅・初版本

154何が大丈夫だ おれははね起きる
155 (だまれ きさま
156  黄いろな時間の追剥め
157  飄然たるテナルデイ軍曹だ
158  きさま
159  あんまりひとをばかにするな
160  保安掛りとはなんだ きさま)




「おれ」牧師の怒りが爆発しています。もしかすると、宮澤賢治の“ひそかな軍隊批判”かもしれないのです。。。

「飄然」は、ふらりとやって来たり去ったりするさま。悪事を見られても平気な顔をしている《保安掛り》を皮肉っているのでしょう。
しかし、「剽」の字(ぬすむ、かすめとる、おいはぎの意)を連想させますね。

「テナルデイ軍曹」は、ヴィクトル・ユーゴー『レ・ミゼラブル』の登場人物「テナルディエ」のこと。「軍曹」を自称していますが全くのでたらめで、戦場で倒れている軍人を救護するふりをして、金品を掠め取ることをなりわいにしている人物。

かっぱらった金品を元手にして宿屋を始めますが、幼女コゼットを引き取って扱き使ったり、コゼットを引き取りに来たジャン・ヴァルジャンに法外な金額を要求したりと、たいへん欲張りな悪漢です。その後も、パリに潜伏中のジャン・ヴァルジャンを監禁して恐喝したり、コゼットの恋人マリユスから2万フランの手形をせしめたりし、最後は渡米して奴隷商人となります。
たぶん、『レ・ミゼラブル』の中でいちばんの悪役──嫌われ役ですw ジャヴェール警部のような同情できる面が、まったくありません:画像ファイル・テナルディエ

おまえは《保安掛り》などと自称しているが、軍人のような格好をして相手を安心させ、行き倒れた人から金品を掠め取る悪党ではないか、というわけです。

それに対して、作者が「牧師」だというのも、おもしろいと思います。神主でもお坊さんでもなく「牧師」‥‥当時の日本人の観念では、キリスト教というと、西洋かぶれでうさんくさい感じがしたのではないでしょうか?
《赤鼻紳士》も、由緒あるセレブではなく、どこかうさんくさい成金です。無知な庶民が、そのまま金持ちに成り上がったような‥。

登場人物の三人三様のうさんくささが、この詩のストーリーの軽さを作っていると思います。

「保安掛り」は、牧師(作者)に悪事を見とがめられて怒鳴られると、とたんにしょげて縮まって、泥炭になってしまいます。

まあ、そのへんが、“宮沢賢治は甘い”と言われる点で、たしかにこれでは、大人の小説は書けないでしょう。。
しかし、ここでは夢物語ですから、都合のよすぎるストーリーもご愛嬌です‥

161いヽ氣味だ ひどくしよげてしまつた
162ちヾまつてしまつたちいさくなつてしまつた
163ひからびてしまつた
164四角な背嚢ばかりのこり
165たヾ一かけの泥炭になつた
166ざまを見ろじつに醜い泥炭なのだぞ

「泥炭」は、沼沢地で分解不十分な植物の遺骸が堆積した黒色の層、また、それを切り出して乾かした燃料の塊。泥炭は、炭素の含有率が低く含水量も多いので、燃料としては品質が悪い。また、泥炭地は、水を含んだ綿のようなふわふわした土地で痩せており、酸性が強いため、農業にも適さない:画像ファイル・泥炭

つまり、「泥炭」は、厄介者の代名詞なのです。乾かした泥炭は、石炭のような硬いものではなく、軽くてふわふわした塊です。

167背嚢なんかなにを入れてあるのだ
168保安掛り、じつにかあいさうです
169カムチヤツカの蟹の罐詰と
170陸稻(をかぼ)の種子[たね]がひとふくろ
171ぬれた大きな靴が片つ方
172それと赤鼻紳士の金鎖

ところが、「牧師」が「保安掛り」の背嚢の中を改めてみると、「苦味チンキ」も「硼酸」も無い(笑)。救急薬品も無ければ、強盗が持っていそうな物騒な道具もありません。

「カムチヤツカの蟹の罐詰」と「陸稻の種子がひとふくろ」──これらは食糧でしょうか?!

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