ゆらぐ蜉蝣文字


第2章 真空溶媒
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2.1.13


明るい昼間の空は、光が止まらずに、ものすごい速さで走って行くので、かえって真っ暗になってしまうと言うのです☆
光がどんどん走り去るために、暗黒の‘がらんどう'な天空、荒涼とした寂しい真昼の世界が支配します──それが、賢治の“まひる”の《心象》風景なのです。

☆(注) もちろん、科学的に言えば、“天頂”“天球”は、われわれの眼が想像する見かけのものにすぎませんから、“高さ”などは、ありえませんし、光速は一定ですから、速い光も遅い光もありません。“光が速いから辺りは暗くなる”に至っては、科学的には全く支持できない珍理論です。しかし、賢治は、おおまじめにこう思っていました。それが“宮沢賢治”の面白いところです。

. 春と修羅・初版本

85すつかり荒さんだひるまになつた
86どうだこの天頂の遠いこと
87このものすごいそらのふち
88愉快な雲雀もたうに吸ひこまれてしまつた
89かあいさうにその無窮遠の
90つめたい板の間にへたばつて
91瘠せた肩をぷるぷるしてるにちがひない

「無窮遠」は、‘無限遠'に同じ。

空全体も大きく広がって、無限遠にある天頂の遠さが透けて見えます。
地平線もまた無限遠点まで広がっているのですが、人間の目で見ると、空と大地の間に挟まれて見えますから、遠くへ行けば行くほど無限に狭い空間のように感じられます。それを、「このものすごいそらのふち」「無窮遠の/つめたい板の間」と表現しています。

空の高くで、さえずっていた「氷ひばり」が、地平の「無限遠」に吸いこまれ──二つの漸近面に挟まれた狭い空間に押しつぶされて苦しんでいる──という心象を、

91瘠せた肩をぷるぷるしてるにちがひない

と表現しています。

“永久”“無限”といった超越的な観念を表現した詩人は多いですけれども、宮沢賢治のように、‥これほど具象的で卑近な形象と言葉で表そうとした人は、ほかにいないのではないかと思います。

賢治にとって“永久”とは、「海鼠(なまこ)の匂」のする「新鮮なそら」「海蒼」なのであり(20-21行目)、
“無限”とは、「愉快な雲雀も‥吸ひこまれて」「瘠せた肩をぷるぷる」震わせる極地なのです。

92もう冗談ではなくなつた
93畫[え]かきどものすさまじい幽霊が
94すばやくそこらをはせぬけるし
95雲はみんなリチウムの紅い焔をあげる
96それからけわしいひかりのゆきき

「画かきどものすさまじい幽霊」は、当時勃興しつつあったキュビズムなどの絵画が念頭にあるのでしょう★:画像ファイル・ピカソとキリコ

★(注) 調べてみると、ピカソ、ミロなどの有名な絵画が現れるのは、1920年代以降なのです。賢治がこの時点で見ていたのは、1910年代までのキリコの幻想画や、ブラック、ピカソの初期のキュビズムだったと思います。ちなみに、『新校本全集』「年譜」に、1923年5月29日「岩手日報社主催芸術展覧会開かれ、立体派[キュビズム]・未来派人気を呼ぶ」とあり、当時岩手県にいても、前衛絵画を見る機会はあったことが分かります。

「リチウムの紅い焔」:リチウムの化合物は、ピンクっぽい赤色の炎色反応を示します。紅い花火も、リチウムやストロンチウムで色を出しているようです:画像ファイル・リチウム

「けわしい光の行き来」:↑上で説明したように、光が高速で行き交うために、かえってあたりの景色は、暗黒に感じられます。

しかも、いまや光は一方向へ高速で駆け抜けるだけではなく、あらゆる方角へ向かう光線が錯綜しています。



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