ゆらぐ蜉蝣文字
□第2章 真空溶媒
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2.1.9
. 春と修羅・初版本
61 (いや王水はいけません
62 やつぱりいけません
63 死ぬよりしかたなかつたでせう
64 うんめいですな
65 せつりですな
66 あなたとはご親類ででもいらつしやいますか)
67 (えヽえヽ もうごくごく遠いしんるいで)
「おれ」(牧師)は、「うんめいですな/せつりですな」☆などと言って、ごまかしていますが、
《赤鼻紳士》のほうは、「おれ」の話を疑いもせずに、ずっと話を合わせているのです。
俗物ですが、悪意がありません。純朴な農民が、コガネをつかんでそのまま成り上がったような憎めない人物です。
☆(注) 「うんめいですな/せつりですな」は、さきほどの・うがった深読みによれば、金満家が金=貨幣に中毒して死ぬのは運命であり摂理であるということで、「おれ」は牧師として正しい道理を説いていることになります。しかし、“金のリンゴ”や王水に会話を誘導して来たのは「おれ」なのですから、「おれ」の立場は正当とは言いがたいのです。
こんなやりとりを続けながら、「おれ」は、相手のほうが無垢で、相手の無知を弄んでいる自分のほうが悪辣に思えてきて、ばかばかしくなってしまいます:
68いつたいなにをふざけてゐるのだ
69みろ、その馬ぐらゐあつた白犬が
70はるかのはるかのむかふへ遁げてしまつて
71いまではやつと南京鼠のくらゐにしか見えない
「なにをふざけてゐるのだ」は、あたりさわりのない無意味な会話を続けている《赤鼻紳士》に向けられた非難ですが、じつは、相手を揶揄しながら無意味な会話を主導しているのは「おれ」のほうなのです。
ともかく、二人が会話に夢中になっている間に、《赤鼻紳士》の犬が逃げ出してしまいます。
これも、「ふざけ」た会話に夢中になっている《赤鼻紳士》に対する作者「おれ」の揶揄(じつは一方的で滑稽な非難)が作り出した夢の展開です。
しかし、《夢》のこの場面の光景は、平面的な感じがします。奥行きのない画面に、近景の人物と、鼠くらいの大きさの犬が並んで描かれているように感じます。
「南京鼠」は、ハツカネズミ(ねずみ色で、田畑や人家に住む)を改良した白色・小型の飼養変種で、実験用・愛玩用に飼育されます:画像ファイル・南京鼠
72 (あ、わたくしの犬がにげました)
73 (追ひかけてもだめでせう)
74 (いや、あれは高價(たか)いのです
75 おさへなくてはなりません
76 さよなら)
《赤鼻紳士》は、慌てて犬を追いかけて行きます。高価な犬だから逃がしてしまうわけにはいかないなどと、守銭奴のセリフを言いながら。
ところで、もういちど蒸し返しますが、なぜ“金のリンゴ”なのでしょう?
いま、ウィキペディアには「黄金の林檎」という項目があるので、読んでみると、きんのリンゴにまつわる神話がいろいろとあるのが分かりますね:Wiki:黄金の林檎
(ちなみに、聖書の《アダムとイブ》の話にもリンゴが出てきますが、こちらは黄金のリンゴではありません)
なかでも有名なギリシャ神話の「パリスの審判」は、賢治も知っていた可能性があると思います。
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