『心象スケッチ 春と修羅』
□真空溶媒
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(そいつはおきのどくでした
はやく王水をのませたらよかつたでせう)
(王水、口をわつてですか
ふんふん、なるほど)
(いや王水はいけません
やつぱりいけません
死ぬよりしかたなかつたでせう
うんめいですな
せつりですな
あなたとはご親類ででもいらつしやいますか)
(えヽえヽ もうごくごく遠いしんるいで)
いつたいなにをふざけてゐるのだ
────────
みろ、その馬ぐらゐあつた白犬が
はるかのはるかのむかふへ遁げてしまつて
いまではやつと南京鼠なんきんねずみのくらゐにしか見えない
(あ、わたくしの犬がにげました)
(追ひかけてもだめでせう)
(いや、あれは高價たかいのです
おさへなくてはなりません
さよなら)
苹果りんごの樹がむやみにふえた
おまけにのびた
おれなどは石炭紀の鱗木りんばくのしたの
ただいつぴきの蟻でしかない