ゆらぐ蜉蝣文字


第1章 春と修羅
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1.14.4


ただ、やや疑問に思うのは、これらの峰が、稗貫農学校の実習田の場所から見えるかどうかということです★
実習田のあった場所は明らかになっています。花巻市内のイトーヨーカドーの北方、稗貫農学校とは花巻城址を挟んだ北側です:画像ファイル・花巻城

じっさいに見えるかどうかは、ギトンも現地に行ってみなければ何とも言えません。
行ったらご報告したいと思いますw(行きました!:⇒画像ファイル:稗貫農学校実習田跡

★(注) 花巻市内から「箱ヶ森」までは見えないとしても、花巻のすぐ西郊外にある江釣子森も、賢治は「岩頸」と呼んでいます。文語詩〔そゝり立つ江釣子森の岩頸と〕(『補遺詩篇U』)

01あヽいヽな、せいせいするな
02風が吹くし
03農具はぴかぴか光つてゐるし

森氏は、作業を終えた後、あるいは休憩している時で、作者は田面か畦に腰掛けていると見ていますが、作業中と考えてもおかしくはないと思います。
目の前で耕起作業をしている生徒たちの鍬や鋤簾の刃が、ぴかぴか光っているのが見える‥‥ふと手を休めて、遠くを見ると、山の連なりがぼんやりと見える‥‥あの奥には、岩頸も岩鐘もあるはずだ‥

おだやかな風に吹かれて、身体から滲んだ汗も、気持ちよく乾いて行く感覚があります。

05岩頸だつて岩鐘だつて
06みんな時間のないころのゆめをみてゐるのだ

──峰々は、人間がやってくるよりずっと前、はるか昔から、ずっと同じ姿でそこにあったはずです。その麓で、作者たちが耕地に鍬を入れているようすは、峰々が見ている悠久の夢の中の一場面なのでしょうか…
「山はぼんやり」という行がリフレインしています。

さて、最後に、「四本杉」を考えてみましょう。

10山はぼんやり
11きつと四本杉には
12今夜は雁もおりてくる

「四本杉」は、花巻城址の周り(北側と東側)にあった杉林の一部…4本並んだ杉を、賢治がそう名づけていたのだとすると、
実習田から見て、「岩頸」のある紫波山塊とは逆向きになります。

そうすると、10行目の「山はぼんやり」は、振り返って見た南東方向の山、ということになります。4行目の1回目の「山はぼんやり」は紫波山塊、10行目は逆方向の北上山地となります。

あるいは、城址ではなくて、紫波山塊の見える方角に、当時「四本杉」と呼ばれた杉林があったのかもしれません。

しかし、いずれにしろ、“4本”は作者にとって意味があるかもしれません。
宮澤賢治は、盛岡高農在学中に同級・下級の3人の文芸友達と同人誌《アザリア》を発刊していました。内容は同人4人☆の創作短歌と散文ですが、宮沢賢治のみならず、1年下級の河本緑石も自由律歌人として名が知られていますから、水準は高かったのだと思います。
しかし、それ以上に、賢治にとっては、青年の時期をともに過ごし、将来の理想に胸を膨らませた仲間として重要でした。

☆(注) 小菅健吉、宮澤賢治、保阪嘉内、河本義行(筆名は緑石)。

そこで、「四本杉」は、作者の青年時代の理想を象徴する《アザリアの4人》を指している可能性があるのです。

11きつと四本杉には
12今夜は雁もおりてくる

は、なつかしい《4人の友》からの通信、あるいは、なつかしい友に出会う予感を示しているかもしれません。





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