ゆらぐ蜉蝣文字


第1章 春と修羅
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1.13.3


チャイコフスキーの第4交響曲第4楽章・アレグロ・コン・フォコは、
↓↓こちらで

. Tchaikovsky - Symphony No. 4 in F minor, Op.36, IV.Finale- Allegro con fuoco - Bernard Haitink, Royal Concertgebouw Orchestra
チャイコフスキー: 交響曲第4番 へ短調 作品36,第4楽章; 8:52
ベルナルド・ハイティンク(指揮)
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

. Tchaikovsky: Symphony No.4 F minor Op.36 (arr.by Taneyev)W. Finale: Allegro con fuoco
チャイコフスキー: 交響曲第4番(S.タネーエフ編曲)より第4楽章; 9:22
矢野雄太,菅原望(ピアノ連弾) 2011年7月19日東京藝術大学

ギトンには、清六氏の言う「不思議で楽しい繰り返し」が、どの部分なのか、よく分かりません。。。
ともかく、清六氏いわく、一風変ったシャレのように見えるこの詩には「問題がかくれている」‥

そこで、ギトンも、もういちどこの作品を深読みしてみたいと思います。

. 詩ファイル「陽ざしとかれくさ」
「光(こう)パラフィン」という言葉が出てきますが、賢治が「光」を「こう」と読むときは、どんなイメージなのでしょうか。
ほかに、「光波」「光子」などがあります。「光子」は作品「春と修羅」で「エーテル」というルビが振ってありました。軽い透明な揮発性の液体のイメージです。「光波」は、

12ひばり ひばり
 〔…〕
23光波のために溺れてゐる
(「小岩井農場」パート二)

99 口笛をふけ 陽の錯綜
100たよりもない光波のふるひ
(「小岩井農場」パート四)

『第二集』収録「痘瘡」(#21)の下書稿では、

「光波の少しく伸びるころ」

が「日脚のしだいに伸びるころ」に修正されていました。
これらの光のイメージは、海岸に打ち寄せる波のような透き通った液体だと思います。
「光パラフィン」は、それに粘性のある半透明なイメージが加わります。
「光パラフィンの蒼いもや」は、そのような粘性の蒼白な光であたりが満たされている物憂い春の空気です。鳥が飛ぶと、その衝撃で青いさざなみが寄せて来ます。

青白い光のもやを通して上空をよく見ると、何羽かの黒い鳥が、それぞれ輪を描いて旋回しています‥まるで、ぜんまい仕掛けの飛行機のように‥

その機械仕掛けのカラスが軋る回転音とともに、作者の身体をチクリチクリと刺すものがあります。

目に見えない巨大なチーゼルが、カラスと一緒に回転しているようでもあります。

春の陽射しの物憂さは、どこか、身体の芯を鋭く刺す痛みの感覚を伴っているのです。

「(これはかはりますか)(かはります)‥」という対話ですが、この尋ね方は、検査か実験をしているように聞こえませんか?観察対象が人間ならば、病院の回診のようです(患者に対して命令口調が当たり前な賢治の時代の医師を想像してみます)。威厳に満ちた面持ちで、草がちゃんと芽を吹くかどうか検査していって、もしもいやがる草があれば、無理やりにでも芽吹かせてしまう──そんな感じです。
あるいは、ルーペを片手に作物を見回っている農事試験場の技師といったところかもしれません。

そういえば、軋りながら旋回する機械仕掛けのカラスも、下界を見回しているかのようです‥

ところで、日なたの枯草の匂いは、人の皮膚の匂いに似ていますよね?

チーゼル(↑上の詩ファイルの写真)は、形が男性器の先に似ていませんか?「チーゼルが刺し」は、コトバとしては暗に同性性交を指しているかもしれません。

春のパラフィンの「蒼いもや」に巻かれると、そんな妄想にもとり憑かれるのです……






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