ゆらぐ蜉蝣文字
□第1章 春と修羅
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1.10.2
それにしても、この詩は、めずらしく作者の感情を直接ぶつけているので、誰でも読んで“えっ?!”と思います。そして‥解釈に困るのです。
誰に‥どんな相手に対して、何を怒っているのかが解らないからです。
目にした解釈を並べますと:
〔1〕宮沢清六氏(『兄のトランク』pp.124-130.):
「『春日呪咀』にはこのような〔作品「春と修羅」のような━━ギトン注〕劇的なものなどは少しもなく、蒼く、くろくて、がらんとした空洞や、『修羅の渚』にひたひたと打ちよせる波の音や、呆けて無表情の無声慟哭があるだけである。
此の頃の彼の苦悩がどんなに苦しいものであったか、近頃やっと私にも解って来たようである。」
そして、
06 春は草穂に呆け
07 あてごとはみんな消えるぞ
(《宮澤家本》による改稿後)
には、清六氏によれば、「あの東北北方を周期的に襲う冷害に対する恐怖の叫び」が読み取れるといいます。
. 春と修羅・初版本
01いつたいそいつはなんのざまだ
02どういふことかわかつてゐるか
「唾し、歯ぎしりし、まっ青に憤ってこんな鋭い言葉を詩にして書いたけれども、彼はあの頃の社会主義者達と全然異なった道を歩いて行った。」
「彼は社会の不正を糾弾する代りに、冷害の太陽に挑戦し、温度上昇のためには大火山島爆発をさえ夢想し、肥料の雨を田畑に降らす企画を造り、雨雲に対する古今未曾有のステートメントを発した。」
しかし、
08 (ここらはいつたい蒼くくろくて
08b ひどくがらんとしたもんだ)
(《宮澤家本》による改稿後)
「と、あきらめたような、あざけるようなうつろな声で叫ぶ阿修羅の声。」
それは、「ツルゲーネフの『父と子』のなかの、バザロフの」虚無思想★を、短い詩行の中に集約したものではないか、と言います。
★(注) そこにも、保阪嘉内との関係が読み取れるかもしれません。
清六氏は、このような《修羅の思想》は、「詩集『春と修羅』全篇を貫いて底を流れて行く寒流」であるとしています。
ただ、ギトンが思うには、
03髮がくろくてながく
04しんとくちをつぐむ
07 うつくしさは消えるぞ
09頬がうすあかく瞳の茶いろ
10ただそれつきりのことだ
という《初版本》の各行に現れる形象を見ると、
作者の激した感情の対象は、冷害に苦しむ東北の農民たちの境遇、また、その苦しみを倍加している当時の社会のしくみ、といったことだけとは思えないのです。
単純に言って、誰か若い女性に向かって唾を吐いているように思えるのですが‥
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