ゆらぐ蜉蝣文字
□第1章 春と修羅
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1.9.3
ともかく、そういう「ひとりの修羅」なのですから、「いかり」「唾し はぎしり」したり、涙ぐんだり、これらはみな「修羅」だから、そうなのです。「修羅」である以上、そうあるほかはないのです。
とりあえず、そう考えられます。
. 春と修羅・初版本
12砕ける雲の眼路をかぎり
13 れいらうの天の海には
14 聖玻璃の風が行き交ひ
目を空に移すと、上空では、眼の届く限り大空いっぱいに、白い雲が砕け、細かくなって飛んで行きます。「れいろう(玲瓏)」は、ling-long という中国語の発音のような澄みきった美しさ、快さ。「玻璃」は、水晶、またはガラス。
天空には、‥「ひとりの修羅」が歯がみ彷徨する地上とは対照的に、きよく澄みきった世界が広がっています。
15ZYPRESSEN 春のいちれつ
16 くろぐろと光素(エーテル)を吸ひ
17 その暗い脚並からは
18 天山の雪の稜さへ[]ひかるのに
19 (かげらふの波と白い偏光)
再び地上に眼を移すと、背の高い針葉樹の列が黒いシルエットになって光り、
その幹の間から、冠雪した遠くの山々が見えます。
「ZYPRESSEN」はドイツ語で糸杉のこと。英語でサイプレス(cypress)。ドイツ語の発音は [tsʏ'pʀɛsən]‥難しいですね。。。宮澤賢治のカタカナ表記で読むなら「ツィプレッセン」:イトスギ
「天山」は、中国の新疆自治区・キルギス・タジク・ウズベク、つまり“西域”地方にある“天山山脈”:天山山脈(タラズ)
「(かげらふの波と白い偏光)」──春の野に陽炎(かげろう)が立っているので、ツィプレッセンの丘や、その向こうの雪の山脈が、ゆらゆらと揺れて見えます。( )で括ってあるのは、「ひとりの修羅」の眼に見える景色だからでしょう。つまり、「(風景はなみだにゆすれ)」(11行目)とイコールです。
. 春と修羅・初版本
20 まことのことばはうしなはれ
21 雲はちぎれてそらをとぶ
22 ああかがやきの四月の底を
23 はぎしり燃えてゆききする
24おれはひとりの修羅なのだ
25(玉髄の雲がながれて
26 どこで啼くその春の鳥)
ここが詩の真ん中ですね。25-26行目が「鳥」の頭と胴体です。
「まことのことば」は、よくわからないから、ほうっておきませう(笑)
22-24行目は、8-11行目と同じ、湿地をうだうだ歩き回っている「修羅」の様態ですが、
21行目「雲はちぎれてそらをとぶ」に注目しておきましょう。これは、風景としては、12行目の「砕ける雲の眼路をかぎり」と同じです。
つまり、同じ“ちぎれ雲”の風景です。
同じ風景が、
さっきは「聖玻璃の風が行き交」う「天の海」‥
こんどは、「まことのことばは失われ」‥
ずいぶんいいかげんなもんだな‥ww
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