ゆらぐ蜉蝣文字


第1章 春と修羅
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1.3.3


このあと、『水仙月の四日』では、雪童子が、吹雪で行き倒れた赤毛布の少年を救命する場面があります:

. 水仙月の四日
「雪童子はまるで電気にかかつたやうに飛びたちました。雪婆(ゆきばんご)がやつてきたのです。

 ぱちつ、雪童子の革むちが鳴りました。狼(おいの)どもは一ぺんにはねあがりました。雪わらすは顔いろも青ざめ、唇も結ばれ、帽子も飛んでしまひました。

『ひゆう、ひゆう、さあしつかりやるんだよ。なまけちやいけないよ。ひゆう、ひゆう。さあしつかりやつてお呉れ。今日はここらは水仙月(すゐせんづき)の四日だよ。さあしつかりさ。ひゆう。』

 〔…〕
雪童子はふと、風にけされて泣いてゐるさつきの子供の声をききました。

 雪童子の瞳はちよつとをかしく燃えました。
しばらくたちどまつて考へてゐましたがいきなり烈しく鞭をふつてそつちへ走つたのです。

 けれどもそれは方角がちがつてゐたらしく雪童子はずうつと南の方の黒い松山にぶつつかりました。雪童子は革むちをわきにはさんで耳をすましました。

『ひゆう、ひゆう、なまけちや承知しないよ。降らすんだよ、降らすんだよ。さあ、ひゆう。今日は水仙月の四日だよ。ひゆう、ひゆう、ひゆう、ひゆうひゆう。』

 そんなはげしい風や雪の声の間からすきとほるやうな泣声がちらつとまた聞えてきました。雪童子はまつすぐにそつちへかけて行きました。雪婆んごのふりみだした髪が、その顔に気みわるくさはりました。
峠の雪の中に、赤い毛布(けつと)をかぶつたさつきの子が、風にかこまれて、もう足を雪から抜けなくなつてよろよろ倒れ、雪に手をついて、起きあがらうとして泣いてゐたのです。

『毛布をかぶつて、うつ向けになつておいで。毛布をかぶつて、うつむけになつておいで。ひゆう。』雪童子は走りながら叫びました。けれどもそれは子どもにはただ風の声ときこえ、そのかたちは眼に見えなかつたのです。

『うつむけに倒れておいで。ひゆう。動いちやいけない。ぢきやむからけつとをかぶつて倒れておいで。』雪わらすはかけ戻りながら又叫びました。子どもはやつぱり起きあがらうとしてもがいてゐました。


 雪婆んごがやつてきました。その裂けたやうに紫な口も尖つた歯もぼんやり見えました。

『おや、をかしな子がゐるね、さうさう、こつちへとつておしまひ。水仙月の四日だもの、一人や二人とつたつていゝんだよ。』

『えゝ、さうです。さあ、死んでしまへ。』雪童子はわざとひどくぶつつかりながらまたそつと云ひました。

『倒れてゐるんだよ。動いちやいけない。動いちやいけないつたら。』


〔…〕雪童子は笑ひながら、手をのばして、その赤い毛布を上からすつかりかけてやりました。

『さうして睡つておいで。布団をたくさんかけてあげるから。さうすれば凍えないんだよ。あしたの朝までカリメラの夢を見ておいで。』

 
雪わらすは同じとこを何べんもかけて、雪をたくさんこどもの上にかぶせました。まもなく赤い毛布も見えなくなり、あたりとの高さも同じになつてしまひました。

『あのこどもは、ぼくのやつたやどりぎをもつてゐた。』雪童子はつぶやいて、ちよつと泣くやうにしました。

激しい吹雪の中で、少年はどうしたらよいのか判りません。いたずらに立ち上がろうとしてもがいてエネルギーを消耗してしまう危険な状態に陥っています。
しかし、雪童子(ゆきわらす)の声も姿も、人間の少年には認識されないのです。

雪婆んごという恐ろしい神格の手先である雪童子には、人と心を通わすことなど許されてはいないからです。

しかし、雪童子は、少年を殺そうとしているように装って、少年がもがくのをやめさせ、雪洞の中で眠らせます。じきにやむ春先の吹雪ならば、これが安全なサバイバル方法なのです。
そして、積雪の中に少年の姿が見えなくなったとき、雪童子は、

『あのこどもは、ぼくのやつたやどりぎをもつてゐた。』

と呟くのです‥

最初に少年の泣き声を聞きつけた時、

「雪童子の瞳はちよつとをかしく燃えました。」

とあります。雪童子は、少年を雪に封じ込めて圧殺してしまいたい衝動を感じているのではないでしょうか?
少年を殺すよう指示する雪婆んごに、

『えゝ、さうです。さあ、死んでしまへ。』

と答えている雪童子は、まったく心にもないことを言っているわけではないのです。

愛ゆえの殺害‥それは、“修羅の愛の形”なのかもしれません‥

いずれにしろ、無意識の衝動に導かれた雪童子の行動は、単なる思いやり・親切の域を超えています。
“無償の愛”──少年同士で、童話の設定だから、賢治も描けたのかも分かりませんけれども‥

『水仙月の四日』については、のちほど関係する詩句が出てきたときにまたとりあげますが(「小岩井農場・パート九」など)、

ちょっとだけ書いておきますと:

題名の“水仙月の四日”は何月何日なのか?‥ということが、よく問題にされますが、
答えは、↑上で引用した本文の中に書いてあります:

『さあしつかりやつてお呉れ。今日はここらは水仙月の四日だよ。』

雪婆んごは、「今日はここらは」と言っていますよね?w

つまり、“水仙月の四日”というのは、太陽暦や太陰暦のような・場所を問わずに成立するものではないのです。ちょうど“花ごよみ”のように、ある場所で桜が開花したら、その日がその場所の4月1日──というようなものだと思います。
ですから、おそらく、この地方では、南側の暖かい場所でスイセンの花が咲いてから4日目なのでしょう。







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