宮沢賢治の《いきいきとした現在》へ


第4章 “こころ”と世界
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宮沢賢治の《いきいきとした現在》へ

──『心象スケッチ』論序説



 4 “こころ”と世界 ――― (i) 「心象」


【この節のアウトライン】 宮沢賢治における「心象」という
用語について、自説をあきらかにする。「心
象」は“心像”ではない。それは、現象学の
言う《現象》そのものであり、意識によって
とらえられた生々しい始原の世界である。



 宮沢賢治の「心象スケッチ」について、多くの手引きは、“心像”つまり作者の心の中にある“像”(イメージ)を、スケッチしたものだと解説しています。これを、私たちは《心理主義的な解釈》と呼んでよいと思います。

 しかし、『心象スケッチ 春と修羅』と銘打たれた彼の詩集には、作者の“こころ”の中のできごとが書いてあるのでしょうか?読んでみれば、とうていそうとは言えないことがわかります。そこで、私は、この《心理主義的な解釈》には、根本的な疑問を持っているのです。


 宮沢賢治が頻繁に使用する「心象(しんしょう)」という語を、多くの論者は、その字義から、「心像(しんぞう: イメージ, image)」の意味に解します。

 たしかに、辞書で「心象」を引くと、


「心の中に描き出される姿・形。心に浮かぶ像。イメージ。」


 などと説明されています。(現在の辞書にある・こういう説明自体が、賢治研究家の説を写して書いているのかもしれません。)

 しかし、宮沢賢治が言う「心象」という語の実際の射程は、こうした“心のなかのイメージ”という狭い意味から、大きくはみ出してしまうことも、たしかなのです。

 たとえば、『心象スケツチ 春と修羅』中の作品「春と修羅」の冒頭は、


「心象のはひいろはがねから
 あけびのつるはくもにからまり」


 という描写ではじまりますが、吉本隆明氏は、この段について、


「リズムがいいものですから、すーっと読みすごして、ただはがね色をした暗いブルーの色合いだけは伝わるんです。意味をたどると、なかなか面倒なことしているなとおもいます。

 
〔…〕『心象のはひいろはがねから』というのは、本当をいうと、何の意味かたどれないわけです。ただ色合いと感覚的な響きはたどれます。『心象のはひいろはがねから/あけびのつるはくもにからまり』というのは、あけびのつるが下から生えて、くものほうまで届いているというイメージよりも、天のほうからあけびのつるが降りてきているというイメージに近くスケッチしてあります。それがメンタルなといいますか、つまり風景と同列にあるこころの世界の次元で見ると、あけびのつるは天のくもから降りてきて、目の前にあるというふうにいえたりするということをいっているんだとおもいます。」
吉本隆明「宮沢賢治 詩と童話」(1992年 講演), in:ders.『宮沢賢治の世界』,2012,筑摩選書,pp.221-222.


 と、いささか混乱した印象を述べています。「灰色はがね」が色だとすると、賢治詩ではしばしば空の色をあらわす表現なのに、「心象」が“こころ”の中だとすると、「アケビの蔓」は、下から上に生えているのか、上から下に生え降りてきているのか、よくわからなくなってしまうのです。

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