ゆらぐ蜉蝣文字


第7章 オホーツク挽歌
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7.12.10


. 春と修羅・初版本

31 (車室の軋りはかなしみの二疋の栗鼠)
32《栗鼠お魚たべあんすのすか》
33 (二等室のガラスは霜のもやう)
34もう明けがたに遠くない
35崖の木や草も明らかに見え
36車室の軋りもいつかかすれ
37一ぴきのちいさなちいさな白い蛾が
38天井のあかしのあたりを這つてゐる
39 (車室の軋りは天の樂音)

「(車室の軋りはかなしみの二疋の栗鼠)」──「二疋のリス」は、今度は、「かなしみ」をさえずり合っています。このへんを見ても、“トシ”に伴って現れるリスや鳥は、それがトシの生まれ変わりというよりは、“トシ”の消息を伝える使者、あるいは“トシ”が残して行った思念の象徴、といったものにみえるのですが‥。

「《栗鼠お魚たべあんすのすか》」は、トシの生前の発言でしょうか?‥これは、ちょっと分かりません。

「霜のもやう」──8月11日の道南で外気が零度以下になるとは思えません。窓ガラスの内側に水滴がついて曇ったのでしょうか?

「一ぴきのちいさなちいさな白い蛾」──賢治は、しばしば小さな虫に注目して描写することがあります。「オホーツク挽歌」でも、波打ち際の「蚊」を観察していましたが、『春と修羅・第2集』以後に、むしろ多いようです。
これは、注目すべきことかもしれません。

36車室の軋りもいつかかすれ
    〔…〕
39 (車室の軋りは天の樂音)

さかんに囀っていたリスの啼き声が小さくなったかと思うと、今度は、「天の樂音」となって聴こえてきました。

この“リスのさえずり”は、星空の日周運動の音である“水車の軸の軋り”でした。宮沢賢治の作品にしばしば現れる・この音は、ピタゴラスやケプラーが想像したような、天球の回転が奏でる音楽(⇒:天球の音楽)のことだとする解釈があります。

たしかに、童話『シグナルとシグナレス』には、「ピタゴラス派の天球運動の諧音」という言葉が出てきます:

. 『シグナルとシグナレス』

「波がやんだせいでしょうかしら。何か音がしていますわ」
「どんな音」
「そら、夢の水車のきしりのような音」
「ああそうだ。あの音だ。ピタゴラス派の天球運動の諧音です」

ピタゴラスやケプラーによれば、「天球運動の諧音」は、非常にかすかな音で、ふつうの人には聞こえないと(すぐれた哲学者にしか聞こえないなどと)されていました。

39行目の「天の楽音(がくおん)」も、耳に聞こえないような、ごく小さな音と考えられているのだと思います。

. 春と修羅・初版本

40噴火灣のこの黎明の水明り
41室蘭通ひの汽船には
42二つの赤い灯がともり

ここまでの詩の流れを見ますと、「Funeral march があやしく今またはじまり」→「二疋のリス」の囀り合いも、悲しみを帯びたものになりますが、やがて外で夜が明けてくるとともに、「車室の軋りもいつかかすれ」→それは、「天の樂音」となります。

そして、湾の「水明かり」の水面を、汽船の「二つの赤い灯」が、静かに遠ざかって行くのが望まれます。

それは、まさに、トシの“霊”あるいは“心の痕跡”が、作者の心から静かに離れ、遠ざかってゆくのに対応するけしきではないでしょうか?
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