ゆらぐ蜉蝣文字


第7章 オホーツク挽歌
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7.12.6


. 春と修羅・初版本

10車室の軋りは二疋の栗鼠

しきりと、寝台車の軋る音がしているのですが、作者は、この音をリスの啼き声のように聴いているのです。「二疋の栗鼠」のさえずりあう声に聞こえます。

【第6章】「白い鳥」でもそうでしたが、作者がトシを追想するときには、追想のきっかけとなる鳥やリスは、しばしば2匹で現れるのです:

. 春と修羅・初版本

13二疋の大きな白い鳥が
14鋭くかなしく啼きかはしながら
15しめつた朝の日光を飛んでゐる
16それはわたくしのいもうとだ
17死んだわたくしのいもうとだ
18兄が來たのであんなにかなしく啼いてゐる

しかし、注意したいのは、「噴火湾」では、「白い鳥」で見られたような激しい悲しみや自責の感情は、もうありません。賢治は、サハリンの旅を通じて、亡きトシの追憶に関しても、いちおうの“決着”☆をつけ、感情の落ち着きを取戻しているのだと思います。

☆(注) それは、たとえば、「オホーツク挽歌」で、“トシの残した十字架”の啓示を受け入れたこと、それによって、「ナモサダルマプフンダリカサスートラ」というサンスクリット題目が自ずと浮かんでくる境地に達したことなどに現れています。

. 春と修羅・初版本

11 《ことしは勤めにそとへ出てゐないひとは
12  みんなかはるがはる林へ行かう》
13赤銅(しやくどう)の半月刀を腰にさげて
14どこかの生意氣なアラビヤ酋長が言ふ

↑これは、トシが下根子に移る以前、豊沢町の本宅にいた時と思われます。
1922年3月20日付の「恋と病熱」(【第1章】)には:

. 春と修羅・初版本

06ほんたうに、けれども妹よ
07けふはぼくもあんまりひどいから
08やなぎの花もとらない

とあるように、
時間のある人(宮澤家の家族と雇い人)は、交代で林へ行って、ネコヤナギの花や木の枝などを取って来て、トシの枕元に置いてあげよう‥という意味です。

「どこかの生意氣なアラビヤ酋長」が、賢治自身を指しているのは、間違えないでしょう。
「半月刀」は、エジプト、アラビア方面で“シャムシール”と呼ばれますが、刀身の曲がったアラブの剣のことです:画像ファイル:半月刀

日本で“かたな”と言えば、日本刀を指すように、中東地域で刀(シャムシール)と言えば、このような形の剣を指すわけです。

. 春と修羅・初版本

15七月末のそのころに
16思ひ餘つたやうにとし子が言つた
17《おらあど死んでもいゝはんて
18 あの林の中さ行ぐだい
19 うごいで熱は高ぐなつても
20 あの林の中でだらほんとに死んでもいいはんて》
21鳥のやうに栗鼠のやうに
22そんなにさはやかな林を戀ひ
.
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