ゆらぐ蜉蝣文字


第7章 オホーツク挽歌
209ページ/250ページ


7.8.6


. 春と修羅・初版本

07チモシイの穂が青くたのしくゆれてゐる
08それはたのしくゆれてゐるといつたところで
09荘厳ミサや雲環(うんくわん)とおなじやうに
10うれひや悲しみに対立するものではない

「たのしくゆれてゐるといつたところで/〔…〕うれひや悲しみに対立するものではない」──たしかに草の穂は楽しそうに揺れていても、それを眺めていると憂愁、また悲愴な気持ちになっていきそうだ‥ということだと思います。

そして、「荘厳ミサ」と「雲環」が引き合いに出されています。

意味の取りにくいほうから考えますと‥、「雲環」は、【第5章】「栗鼠と色鉛筆」に出てきたとき、文字どおり、孫悟空の挿絵のような・雲の輪を考えてみました。

じっさいの現象としては稀ですが、富士山のような独立峰では、環状雲が見られることがあります:画像ファイル:雲環?

もっと稀には、↑峰の回りでなく、ふつうの空に環状雲ができることもあるようです。

もちろん、「雲環」とは、“日暈(にちうん、ひがさ)”や“幻日環=白虹(はっこう)”(⇒画像ファイル:日暈,幻日環)のような・もっとありふれた現象だと解することもできるでしょう。

しかし、ここでは、じっさいに今それらが見えたということではありませんから、文字どおり“環状の雲”と解しておいてよいのではないでしょうか。

「荘厳ミサ(ミサ・ソレムニス)」は、カトリック教会のミサ形式の1つで、司祭・助祭・副助祭による《読唱ミサ》と合唱による《歌ミサ》を交互にやるものだそうです。つまり、ミサの中で最も盛大なもの、ということらしい。
ミサ・ソレムニスのための合唱曲(荘厳ミサ曲)はいろいろな作曲家が作っていますが、有名なのはベートーヴェン作曲とモーツァルト作曲。ただ、これらは、あまりにも大規模すぎて(演奏に1時間ないし1時間半かかります)じっさいに教会で演奏してミサをすることはほとんどありません。もっぱらコンサートホールでの演奏会用です。

モーツァルト作曲のものは、未完成だということもあって、あまり演奏されませんが、ベートーヴェン作曲の《荘厳ミサ曲》は、有名な交響曲と同じくらいしばしば演奏されています。

宮澤賢治がレコードで聴いたとすれば、ベートーヴェン作曲のほう(しかも、ごく短いサワリの部分だけ)でしょう:Beethoven:Missa Solemnis,Messe D-Dur op.123: Credo(1)
Semperoper, Dresden Feb.14.2010.
Staatsopernchor Dresden
Staatskapelle Dresden
Musik.Leitung: Christian Thielemann
〔ベートーヴェン『荘厳ミサ曲』ニ長調,作品123 から「クレド」(1/3) 4:38
 ドレスデン国立歌劇場合唱団, ドレスデン国立音楽堂管弦楽団
 楽団指揮:クリスチャン・ティーレマン. 2010年ライヴ〕

全曲を聴きたい方は、こちら:⇒Missa Solemnis,Beethoven
London Philharmonic Choir, London Symphony Chorus, London Symphony Orchestra, Sir Colin Davis: conductor. 2011 BBC Proms 67
〔ベートーヴェン『荘厳ミサ曲』1:28:24
 ロンドン・フィルハーモニック合唱団, ロンドン交響合唱団, ロンドン交響楽団
 サー・コリン・デーヴィス(指揮) BBC制作、2011年〕

09荘厳ミサや雲環とおなじやうに
10うれひや悲しみに対立するものではない

サハリンの、(おそらく)午後の草原に座っていると、まわりの草木の楽しげな風景も、どこか悲しみや憂いを呼び起こします。
空にかかる「雲環」の不思議な光景や、『ミサ・ソレムニス』の響きに通じるものがあるのだと、賢治は言います。

それは、故郷の岩手の草原では経験したことのない深い印象を与える実景体験だったのではないでしょうか?
.
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ