ゆらぐ蜉蝣文字
□第7章 オホーツク挽歌
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7.8.2
. 春と修羅・初版本
01蜂が一ぴき飛んで行く
02琥珀細工の春の器械
03蒼い眼をしたすがるです
04 (私のとこへあらはれたその蜂は
05 ちやんと抛物線の圖式にしたがひ
06 さびしい未知へとんでいつた)
《初版本》の最初の頁はタイトルだけで、本文は次の頁からです。
「琥珀」は、マツなどの樹脂が化石化した黄褐色・透明の鉱物です:画像ファイル:琥珀
「すがる」とは、ジガバチのことで、万葉集にもある古い言葉です。ジガバチは、狩人蜂の一つで、非常に細い腰が特徴です:画像ファイル:ジガバチ
しかし、「すがる」という言葉は、とくに東北各地の方言では“すがり”などの音形で、地蜂、土蜂、足長蜂、あるいは“蜂”一般を指しても、用いられていました:『方言の形成と意味変化』
ここで、宮沢賢治は、ジガバチ、蜂一般‥どちらの意味で用いているのでしょうか?
琥珀色ということで言いますと、ジガバチも、最もありふれた蜂であるミツバチも、ともに腹部は黒と琥珀色です。
しかし、ジガバチは、深黒色の大きな複眼が目立ちますから、「蒼い眼」と言ってもおかしくはありません。
そして、「琥珀細工」「春の器械」という表現からは、腰が細くてきゃしゃな体つきのジガバチのほうが、この詩句に合っているように思われます。
また、11行目では、別の種類の蜂(あとで検討しますが、こちらはミツバチのようです)について:
11だから新らしい蜂がまた一疋飛んできて
と言っています。「新しいすがる」とは言っていません。「すがる」という語を。蜂全体でなく、ジガバチを指して使っているから、↑こちらでは、「すがる」でなく「蜂」と言っている──とも考えられるわけです。
そうしたわけで、ギトンは、この作品の「すがる」は、ジガバチを指していると考えます。
‥関係があるかどうか分かりませんが、ギトンには、「すがる」(ジガバチ)の体形は、サハリン島の地図に似ているような気がします。前nの写真を見てください。
鈴谷岳の上から望むと、栄浜の先で、陸地が狭くなっていて(ポヤソク地狭)、ジガバチの腰に似ているのです:サハリン全図
「樺太鉄道」でも、@地上の窓ガラスの虹と、天上の“光環”現象の虹との照応、A天上の夕日と雲の“化学反応”・“化学の結婚”と、地上の人間の結婚──性愛・“小さな幸せ”との照応‥、という2つの照応関係が見られましたが、ここでは、B‘天上の使い’のように飛び去ってしまう「すがる」の微小な体形と、大地に刻印された巨大な鳥趾形との照応が、暗に示されているのかもしれません。
↑それは、考えすぎかもしれませんが、‥ともかく賢治詩には、しばしばこのような“天地の照応”、あるいは、照応しあう「二重の風景」が、隠されているように思います。
さて、次に検討しておきたいのは、この「すがる」──ジガバチ──を、作者は、誰か女性を暗示して描いているのかどうか、ということです。というのは、この「すがる」は、亡きトシを暗示していると主張する論者が多いのです。「すがる」と言えば、当然に若い女性の比喩だと、その人たちは考えています。
もちろん、ギトンは、そうは思いません。蜂はあくまでも蜂です。何でもトシにしてしまうのは、安易な解釈です。
そこで、日本文学での「すがる」について、主な典拠とされる『万葉集』を、少し検討しておきたいと思います。
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