* 短編小説 *

□ * 日付が変わる頃までに *
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『日付が変わる頃までに』





決定的な理由なんてない。
全部が全部大した事ないような、つまらねぇコト。
でも、へらへらしているアイツが気に入らなくて、つい怒鳴っちまった。

「出て行け!」……と。



怒涛の事務処理を終え、暗い自室の戸を開ける。
誰もいない部屋の灯りを点けると、中央に敷いたまま放置されている布団の上にどさりと崩れた。

胡坐を掻いて組んだ自分の指を見ながら、溜息ひとつ。
アイツが居ない事は解っていた。
なのに、ほんの少し期待した自分を呪いたくなる。


几帳面な日番谷は、日頃布団と着物を放り出したまま出かけることはない。
しかし今朝はすっかり寝坊してしまい、傍らには脱ぎ散らかした自身の夜着が転がっていた。
寝坊の原因は、蓄積疲労と睡眠不足。そして最も有力なのは、夜遅くにやって来た恋人との情事…。
昨夜、連日の激務から憔悴していた日番谷は、風呂上りの髪を乾かす間もなく意識を失った。そこに市丸が忍び込んできて…。目が覚めた時には仕事開始の鐘の鳴る、10分前だった。

慌てて市丸を叩き出すと、用意もそこそこに自室を飛び出し、鐘声の余韻が消える直前に執務室に滑りこむ。
ぎりぎり間に合った事にほっと息をついたのもつかの間。先に来ていなければならない副官の姿が見当たらない。
また遅刻か、と眉をしかめ書類を整理し始めた頃に、二日酔いで蒼白な顔をした松本がようやく現れた。

他隊の事務処理の遅れからとばっちりを食らい、今日はどんなに頑張っても残業確定だと言うのに。
しかも運悪く席官も現世に出ていて、事務処理をこなせる者が極端に少ない日。
既にこの辺りで、日番谷の機嫌は最悪だった。

しかしだからといって納期が延びるわけではない。仕方なく役に立たない松本を追い立てつつ倍以上の仕事をこなし、昼も摂らずに励んだお陰で、ようやく目途が立ち始めた、定時少し前。
ほっと息をついた、そんな時だった。

自分を迎えに来たのか、それともサボりに来たのか。ともかく仕事以外の用事でアイツがやってきた。
にこにこと言えば聞こえの良い、笑みを浮かべて。

『日番谷さん、おる?』
『…なんの用だ』
『用がなかったら来ちゃあかんの?』
『見りゃ解るだろう!?今忙しいんだよ!!』

市丸がウチに来るのはいつものこと。ただ、タイミングが悪かった。
朝から狂わされた日常。予定外の仕事。疲労に空腹。
言い訳ならば幾らでも並べられる。

だけど、そんなのは理由にならない。
結局俺がしたことは…、八つ当たり。
ただの甘えだ。



いつの間にか、合わせた手を強く握り締めていたらしい。
力を緩めると、少しじんとして指に熱が拡がった。
弱く痺れたそれを二、三度伸ばし、後頭部で組むとごろりと仰向けに寝転がり、足を伸ばす。
自分の身体にしてはかなり大きな寝具に沈み、日番谷は重い息を吐き出した。

元々小柄な日番谷が使用していたものは、成人男性が身体を休めるには適さない、小さめの一式。
しかしこれだと一緒に眠れない、と何回りも大きな布団を持ち込んだのは、アイツ。
それでも、枕を使うと足がはみ出しそうだと、よく自分を抱きこんで眠ろうとして…、こちらが逃げる。
昨夜もそんなやりとりをして眠ったばかり。

(…ッ)

無意識の思考に秀眉を寄せて、日番谷は後ろに回した手を、顔の上で組みなおす。
いやに鮮明な情景が視界と共に遮られ、にわかの暗闇に安堵した。

(馬鹿みてぇ…)

ほんの些細な事でさえも、アイツに繋げてしまう自分が情けなくて嘲笑うしかない。
しかしその気持ちに反して、心臓がどくん、と大きくひとつ、脈打った。
一度鳴り始めたその音は、どんどん、どんどん大きく早く、日番谷を追い立てて逃がさない。

「……バカ野郎…」

自分に、アイツに。苦し紛れに呟いた言葉は、更に後悔を膨らます。
この気持ちは、自己嫌悪。
拭えない不安が圧し掛かる。

無遠慮に侵食してくるそれから逃れたくて、日番谷は横臥した。
下に敷いた腕に頭を乗せ、片手で視界を塞ぎ、丸くなる。
このまま眠ってしまいたい、と目を閉じると、赦さないとばかりに夕方見た市丸の姿が瞼の裏に甦った。
僅かに息を呑み、強張った身体。「そか、」と呟いた声は硬く、向けた背中は冷ややかで。

(くそ…)

視界の明暗に関わらず襲い来る無言の非難に、日番谷は唇を噛み自重の掛からぬ方の手で、袷を握った。

この苦しみを解消する方法を、知っている。
ただ臆病な自分には、それを行動に移す勇気が出ないだけ。
日番谷は鼓動と共に細かく繰り返される息を止め、一度大きく吸うと努めてゆっくり、胸を上下させた。

『しんどい時は、ちゃんと息せな』

どんな時でも深呼吸すれば落ち着くから。
それから考えたらええんよ。そう言ってくれたのも市丸だった。

少し時間をかけて深呼吸を繰り返し、静かに目を開ける。少し色を取り戻した瞳の端に、何か白い布の様なものが飛び込んで来た。
見覚えのないそれが気に掛かった、というよりは、このまま何か別のものに意識を向けてしまいたい衝動に、日番谷は身体を起こすとずるずると側まで這って行く。

「…あ」

水平に見ていたときには解らなかったそれが、形を成してその存在を痛いほど自分に訴えて来た。
日番谷は、その白いものを手に取り、目の前でゆっくりと広げる。
自分のものよりもずっとずっと大きなそれは、背中に〈三〉と刻まれた、恋人の白い隊主羽織。
嫉妬深いアイツらしい、と、目を背ける事すら赦さない市丸に苦笑が零れた。

今朝あまりにも急いでいて、市丸が羽織を着ていたかすら覚えていない。
だからこれが、着替え用に持ってきたものなのか、それとも昨日着ていたものなのかすら解らない。
日番谷は、その白い羽織をぎゅっと握った。



アイツは、怒っているだろうか。
用件も聞かず、頭ごなしに怒鳴った俺に呆れているだろうか。

この時間にはいつも一緒にいるのに、未だアイツは姿を見せない。
きっと今日は来ないつもりなのだろう。
少し皺の出来た大きな羽織をたたんで、日番谷はじっとそれを見下ろした。

自分は市丸と違って人の目を気にしてしまうし、思った事を口にする方でもない。
それどころかアイツに対しうまく気持ちを伝える事が出来なくて、憎まれ口ばかり叩いてしまう。
だけど市丸は、こちらが何かを伝えたくて困っている時、それを察して微笑ってくれる。
喧嘩した時は、引いてくれる。
いつもその優しさに甘えて、言わなければならない言葉を胸にしまってしまうけど。

本当は―――。
躊躇ってはいけない時ぐらい、俺だって解ってる。



枕元の時計を見ると、日付の変わる一時間前。まだ起きている時間。
自分の背中を押すそれを手に、日番谷は静かに立ち上がった。

一回大きく息を吸って、ゆっくり吐いて。
胸の中の白い羽織を一度きつく抱きしめてから、日番谷は畳に足を滑らせた。




戸を開けたときに流れ込んだ夜気に、消し忘れた行灯が優しく揺れて、そっと消えた。






-オワリ-






大分前に書き、ギンヒツデー合わせでブログにアップしたお話をこちらに移しました。
勇気を出して踏み出した日番谷さんを応援してあげて下さい^^



ご来訪ありがとうございます!

2013/3/7 ユキ☆

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