カラス

□序章
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今は昔。
時は動乱戦国時代。

数多の人間が殺しあい、命がけで明日を目指した時代。


山あいのある小さな山城は、今まさに落ちんとしていた。

もえさかる、小さな城。
空が朱い。これは、炎か、血か。

城内は、殺戮の嵐だった。

阿鼻叫喚。

一面が暑く、朱い。

そこかしこから断末魔の叫びが響き、ごうごうと燃える音と相まって恐ろしい不協和音が流れている。


断っておくが、戦国の世に於て、このような光景は珍しくない。
下剋上とは、敗者を徹底的に破滅させる。

弱ければ、死ぬのだ。この城も然り。


さて、城の奥の奥、ひっそりと在る納屋の中。ここに、うずくまる人影があった。
まだ火の手がわずかに遅れていて、炎は襲ってこない。襲ってくるのは、絶え間なく響く絶叫と、巨大、かつ深い恐怖。

壁…といっても薄い板張りに過ぎないしきりを背にしてうずくまる女性が、同じく体を小さくする少女と従者の若武者をみた。
少女の白い肌が、暗い部屋に浮き立っている。何が何だかわからず、ただ恐怖だけがひしひしと刺してくる今の状況に、茫然とするばかりである。
若武者の方は、真剣な表情で正面を見据えている。壁をへだてた視線の先には、城主がいる。

正確には、城主の亡骸が。


女は、一度深呼吸をして、二人を見た。

「リン、そして笹谷。良く聴け。
ここはもうすぐ見つかります。あの俵の裏には隠し板があって、そこの通路は城外に繋がっています。あなた達はそこから逃げなさい。」

「しからば奥方様も…」

その時、肉を貫く鈍い音がして、三人の目は一点に注がれた。

奥方様と呼ばれた女の腹からつきでた、銀色の刃。切っ先から、直前まで体内を流れていたはずの血が、滴りおちる。

「あっ………」
思わず声を出しかけた少女、リンの口を、笹谷が抑える。リンの眼から、涙がこぼれ始めた。
「かあさま」
押さえられたくちから懸命に母を呼んだ。
母は眼を見開き、血を吐いた。だか、倒れるものかと懸命に体を硬くさせている。

壁のむこうから、声がする。

「おい、この奥から声がしたぞ。まだ生き残りがいるかもしれねぇ。」
「ならば殺さねば。皆殺しというのが、若の絶対命令だからな…。」
「いかせるものか!」
敵国の兵士の会話に、しわがれた声が入り込んだ。

「じいや」

リンは心で思った。
壁の向こうにいるのは、彼女のお守り役、豊田昌衛だった。
ただ、聞こえてくるのはいつもの慈愛に満ちた声ではなく、憤怒に満ちた声だった。

「これ以上この城を荒らすことは、この豊田昌衛が許さぬ。」

「あ?なんだこの老いぼれ。血まみれじゃん。俺らに勝てると思ってんの?」
母に刃を刺したであろう男の荒々しい声が言う。
「老将よ、残念だが、城内皆殺しは避けられぬ。お命頂戴する。」続いて、前者より幾らか年期の入った重厚な声。


そこまで聴いていた母は、息も絶え絶えに、己の胸から艶々と煌めく小刀を取り出した。
それを娘の手に握らせる。
「リン、生きよ。
何があろうとも。
それが母の願いじゃ。」

「かあさま」

とうとう部屋にも、火の手がまわってきた。板張りの壁がパチパチと騒ぎ始める。女は血を吐き、再び笹谷の方を向いた。

笹谷はうなずくや否や、少女を抱えあげて、俵を蹴りあげた。
隠し板を外す。すると陰気な地下通路が姿を現した。

その時、何かがゴトンと落ちる音がした。
「ハァ…ハァ…、手こずらせやがって、このジジイ。この生首どうしてくれようか。」
「私が斬った首だ、私がもらおう。」
「あーハイハイ、そうだったな、お前のだったな。」

笹谷は眼をつぶり、眉間にシワを寄せた。しかしすぐ前を向き直ると、女をみた。
「奥方様、…いや、姉上、さらば」

そう言い残すと、暴れんとするリンを抑え、地下道に消えた。


一人になった女は、そばにあった箱に寄りかかり、また血を吹き出す。もはや目に生気はない。

だか、その箱に何が入っているかなら分かる。

火が本格的に勢いを増してきた。

女は思う。

もう、生き残っているものは居らぬだろう。来世でまた、皆と共に生きたいものだ…。

笹谷…。愛すべき弟よ、リンを頼む。

リン…。私の可愛い娘…、どうか生き延びて、そして………


その時、女の寄りかかる箱が爆発した。火薬が詰まった箱だった。その火薬保管庫では爆発の連鎖が起きた。

それからまもなく、城は業火のなかで落城した。

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