短編

□いつものクッキー
1ページ/2ページ

あれはまだ、わたしが幼かった頃。

バターの焼ける、香ばしい匂い。

いくつにも重ねられた、薄黄色のひよこ。

いい具合に色づいた卵。

そして、母の「おいしい?」と聞いてくる優しい声。

わたしは、母が作るクッキーが大好きだった。

休日に、ふとした時間に作ってくれる、最高のおやつ。

焼きあがるのが待ちきれなくて、オーブンの前でじっと見つめていた。

部屋の中には甘く香ばしい匂いがいっぱいに広がり、それに包まれているだけでも幸せに思えた。

そして、頬張った時のサクッという感触。
口中にひろがるしっとりとした甘さ。

とろけるようなチョコレートにだって、お店のきらきらしたケーキにだって負けない、わたしにとっては最高のおやつだった。



最後に食べたのは、いつだっただろう。



大学を出て、社会人1年目。

独り暮らし。

恋人あり。

そこそこ順調な人生。

料理はまあまあする。

けれど、お菓子って、なかなか作らない。

そりゃ、バレンタインなんかは恋人にあげるために頑張ったりするけれど…あの、暖かい記憶の中にあるクッキー。

なんだか、無性に食べたくなってきた。

仕事がひと段落してホッとしたからだろうか。

ご褒美にケーキを買うより、あのクッキーが食べたい。

けれど、自分で作れるだろうか?

思いつきで母にメールを送ってみる。

『クッキーの作り方を教えて』

普段はあまり自分から連絡をしないから、驚いているだろうか。

母は未だにガラケーだ。
メール、すぐ見てくれるかな。

心配をよそに、すぐ返信が返ってきた。

突然どうしたの、とか
最近はどうなの、とか

そういう文面の下に、ちゃんとレシピが載っていた。

さすが母。

他の内容にもさらっと返しながら、『ありがとう』とうつ。

さらにもう一言。

『がんばって作ってみます』



近所のスーパーで急いで買い物をすませ、アパートに帰宅。

今夜は恋人がくる予定もないので、夕飯は簡単にすませ、早速クッキー作りにとりかかる。

まず、電子レンジでバターをとかす。

耐熱皿にのったバターがくるくる回っている間に、他の材料を量っておく。

量り終えたあと、レンジからバターを取り出す。

黄色い海に、少し浮かんだ白い島。

このつやつやした光は希望の光だ。

光の海をボールに流し込み、さらに砂糖を入れて泡だて器でよく混ぜる。

ざりざりした感触が、だんだんバターになじんでいくのが面白い。

本当は白っぽくなるまで混ぜたいところだけれど、腕が痛くなってきた。

まあ、このくらいで大丈夫だろう。

溶いた卵を入れる。

残りは塗り卵としてとっておく。

混ぜると薄黄色が濃くなっていく。

見た目も少しどろっとねばりけがある。

そこへ薄力粉を投入。

めんどくさいのでふるわない。

だまにならなければいいんでしょ。

へらに持ち替えて、粉が飛び散らないように、ゆっくり混ぜてまんべんなく粉がなじむようにする。

バニラエッセンスも少々。

あっ

つかの間の幸せを鼻で感じる。

黄色いおまんじゅうのようになったら、オーブンの予熱を押す。

そして、余熱をしているあいだに成形。

今回は型抜きをしないので、だいたい一口サイズにちぎっては丸めて、手のひらで平らにする。

クッキングシートの上に、次々と並べられていく不ぞろいな満月たち。

どんどんどんどん増えていく。

あれ、これ何枚分だろう。

そう言えば書いてなかったなぁ。
ま、いっか。

何十枚と並べられていく丸い月。

なんてわくわくするのだろう。

気づけばオーブンの予熱が終わりそう。

成形の手をいったんとめて、まず第一回、うまく焼けるか選手権。

まんまだ。

塗り卵をスプーンに少し絡めて、月の上でぐるぐるまわす。

そんなに一生懸命は塗らない。

なんとなくうさぎ模様になればいい、なんて。

いざ、灼熱の赤道直下へ。

ピッ

ぶぉーん

安いオーブンなので少々不穏な音がするが、まあ回転しているからどうにかなるだろう。

焼いている間に残りの生地の成形を済ませて、卵を塗る。

ああ・・・あああっ

部屋に充満する、あの匂い。

甘くて、香ばしくて、やさしくて、やわらかい・・・これ、これだ!

はぁっ・・・幸せ!

ふっとオーブンをのぞきこむと、塗った卵が少しずつ色づいてきていた。

「ほわぁ〜」

思わずため息がもれる。

このままずっと眺めていたいくらい。

けれども無理やり視線をひっぺはがして、残りの生地に立ち向かう。

準備が整ったら、今度は焼きあがったものを受け入れるお皿を用意。







ピーッ ピーッ ピーッ

ばっ

時間きっかり扉をオープン。

熱気が顔にふりかかる。

それとともに、先ほどから感じていた大量の甘い匂い。

あーっ!

たまらない!

そして、匂いもそうだが、肝心の本体もなんと魅惑的な輝きをしていることか。

生地は薄黄色。卵はオレンジ。

その2色が織りなすのは幸せへの道・・・

とか考えている暇はない。

余熱が冷めてしまう前に、第2回戦を始めなくてはいけない。

クッキングシートをそのまま持ち上げて、宝石を落とさないようにお皿へ移動。

そして、第2回戦の出場者が乗ったシートをオーブンへ。

ぶぉーん

よしよし。
順調に回っている。

さて、この焼きたてのクッキー…味合わずにいられようか!

恐る恐る指先を伸ばして1つに触れる。

あちっ

あちっ

何度も指を刺激されながら、えいとすくって口へそのままイン。

「ん〜〜〜〜っ!」

熱い!

けど、おいしい!

あぁっ…これだ、わたしが追い求めていたのはこれだ!

1回でたどり着けたのは、レシピ通りに作ったおかげ。

わたしはスマホを取り出した。

あて先は母。

見られるか不安だが、一応写真も添付。

そう操作している間にも、手は自然と伸びてしまう。

あちあちと格闘しながらも、着実に1つ1つお腹の中へ。

サクッ

ふわ〜っとバターと卵の味。

ほどよい砂糖の甘さ。

口当たりのよい生地。

「しあわせぇ…」

第2回戦が行われている隣で、わたしはすでに満足感にひたっていた。



最終戦は、わたしvs焼かれた大量のクッキーということは言うまでもない。
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ