リクエスト小噺

□santuario
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「場所は?分かる?」
助手席でシート・ベルトを着けながら尋ねると、獄寺は首を横に振った。
「分かんねぇ」
「マジかよ」俺は苦笑する。
「というか、何を目指せばいいかも正直分かんねぇ……」
獄寺が、いつもの口調になって、大袈裟に項垂れて見せた。
「考えてみりゃ、街をはっきり覚えてるわけじゃねぇし、勢いで来たようなもんだし…」
「おいおいおいおい」
アクセルも踏まずに運転席で萎みだした獄寺に、俺はなんとか元気づけようと言葉を探す。
「まあ、辿り着けなかったとしても、ドライブしたってことでいいじゃんか。なんとなくでも覚えてることねえの?」
「なんとなく…」
言っても3歳になる前だもんな、と内心では思っていた。
なんとなくでも覚えている方がすごい。
それなのに。
「車…いやピアノか?ちがう、やっぱり車だ。買ってもらった」
獄寺がぶつぶつと言いだした。
「えっ車?ピアノ!?ガキに!?」
「バカおもちゃに決まってんだろ!」
獄寺家なら有り得そうなスケールのでかい話だと早とちりした俺に、隼人坊ちゃまがつっこむ。
獄寺はそのまま記憶の糸を手繰り寄せ、また独り言のように続ける。
「そんでその後、パン食った。おもちゃ屋の隣、パン屋だった」
「ほんとかよ〜?」
俺が疑るような顔をしたけど、獄寺は気を悪くする前にドアを開けた。
「ちょっと聞いてくる!」
そう言いながら、獄寺はレンタカーの事務所に駆けていった。
そういえば、カウンターのスタッフは、今も昔も土地勘のありそうな初老の男だった。
車内に取り残された俺は、ひとつため息をついく。
「……悪くない方向だけど」
呟いて、窓の外を見た。もうすぐ13時になろうとしている。

13時を過ぎた頃、獄寺は少し沈んだ顔で戻ってきた。
「…なかったのか?隣同士のおもちゃ屋とパン屋」
「あった」獄寺は即答した。
そして続けた。「でも、おもちゃ屋は何年も前に閉めたらしい」
「……そっか」
ちょっと予想外の展開に、俺も言葉を探す。
「…どうする?」
すっかり意気消沈してしまった獄寺に、俺はいちおう尋ねた。
「どうするって…」獄寺は、もぞもぞと下を向いた後、俺を見た。「…近くまで、行っていいか?」

レンタカーの中でも、獄寺は喋らなくなった。
だから俺も話さず、ただ流れていく景色を眺めていた。
もう、30分ほど走っただろうか。
今日の獄寺は、くちを開けば「なんとなく見たことがある」で、今回も運転速度は少し遅くなった。
「どのあたりが?」
俺が聞いたのと、車が停まったのは、同じで。
50メートルほどもありそうな高層ビルの前だった。
そして、その隣に小ぢんまりとしたパン屋があった。
これが、獄寺の記憶の片隅にあった情景だったのだろう。
獄寺は、降車することなく、辺りを伺っていた。
その姿は、隠れんぼをしながらなかなか来ない鬼を待っているこどものように見えた。
頼りなげで、このまま足跡を残さず帰ってしまいそうだった。
だから俺は、またさりげなく誘う。
「獄寺。おれ腹減った。せっかくだし寄っていこうぜ」
「……わかった」獄寺が、ぶっきらぼうに返事をした。

チョコレートのかかった甘そうなパンに、獄寺は無言でかぶりついた。
その横で、俺もコーヒーを飲みながら惣菜パンに手をつけた。
獄寺が食事どきに菓子パンを選ぶことは、滅多になかった。
店の名前が印刷された紙袋を、獄寺は食べている間ずっと眺めていて、その中身がなくなると丁寧に折り畳んでポケットに入れた。
獄寺のそんなひとつひとつの行動を、今日の俺はいつだって見ないふりをしていた。
「変わらないものって、あるようでないんだな」
ハンドルに手をかけることなく、獄寺はぽつりと呟いた。
俺は黙っていた。
変わらないものは目に見えないことの方が多いんだよと言ってあげたかったけど、言葉にすれば嘘くさくなりそうで言えなかった。
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