リクエスト小噺

□ゴールデン・サマー
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「ここ…」
「なんだ、ほんとに覚えてなかったのか」山本が苦笑した。
本当のことをいうと、いま俺たちを包むたくさんのホタルがいなければ、きっと俺は思い出せていなかった。

何年前かは覚えていないが、こんな夏の夜だった。
俺たちは、まだ無邪気で、こんなホタルの光で機嫌を直してしまえるくらい幼かった。
女と仲直りをしたいときに連れていくといい。
シャマルが教えてくれた場所に、俺はわけが分からず山本を引き連れた。俺の心ない一言で、山本の気分を害させてしまったからだ。
ただ暗い薮の中を歩いて、山本どころか俺も騙された気になっていた。
山本も無言のままで、焦った俺が本音を漏らした時、ホタルが黄金の輝きを見せたのだ。

そうだ、そんなことがあった。俺は言葉を失くして立ち尽くした。
「獄寺」
俺の先を歩いていた山本が、光の粒を纏わせて振り向いた。

「やっぱり結婚しよう、俺たち」

「━━え?」
耳を疑う俺に、山本がゆっくり近づく。そしてゆっくりついでに、もういちど言った。
「一緒になろうぜ」

なに言ってんだよ。本気で、そんなこと考えてんのかよ。
「…今日の結婚式でその気になっただけだろう」
「ばれたか」
イエスよりもノーよりも先に出た皮肉に、山本が照れ臭そうに笑った。
「ここに来たのだって偶然だし、指輪とかも用意してない」
「適当すぎんだよ」
「じゃあ獄寺も、適当に返事しろよ」
「あ?」
「うんって言えよ」
山本は笑顔で、でも瞳は笑っていなかった。
俯く俺の手を、山本が優しくとる。「ままごとみたいなもんじゃん」

分かっているくせに。
雰囲気に流されて、はるか前の思い出の場所で、指輪もないプロポーズ。
ぜんぶ中途半端なお膳立てなのに、ここで俺たちは嘘ひとつ言えない。
山本も、俺も、ちゃんと分かっている。
だから俺は、ますます俯いてしまう。

「……無理じゃねぇか。できないことだろ」
俺が声を絞り出すと、山本が握力を強くした。
「今は無理だけどさ。いつか可能になるんじゃね?」
握り締める手は、まるで祈るようなそれだ。
「法が認めてくれたら、俺はすぐに役所に行くよ」
「山本?」
「たとえ、何年たっても、じいさんになっても、死ぬ前日でも、その日がくれば」
山本が、腕を俺の両肩に伸ばす。
「だから、すぐ動けるように、いま返事しろよ」
やめろよ。
そんなこと言うな。
ままごとじゃねーのか。
本気にしちまうだろうが。
「そんな長く待てんのかよ」
おまえが意外に短気なの、知ってるんだぜ。
「待ち切れずに、適当な女つかんで…」
それ以上は、言葉にできなかった。そんなこと山本にされたら、信じていた俺は…
「しないよそんなこと」
今までだってできなかったのにと山本が眉を下げた。
「俺は、獄寺をひとりで待たせるようなことなんてしない」

ホタルで反射した漆黒の瞳に浮かぶ、俺の貌。
それは本当に戸惑っていて、皮肉に俺を奮い立たせる。
流されるな。冷静になれ。そんな簡単なもんじゃないだろう。

「たぶん、そう大きくは変わらねー」
俺は山本の瞳に告げた。
「法を変えるものは、精神論じゃない。実益だ」
客観的に、淡々と話せ。山本の瞳の中の俺が、厳しい表情でこちらを見る。
「男と女が結婚を許されているのは、子孫を残せるからだ」
「獄寺?なに言ってるんだよ」
山本が訝る。
「でも同性の結婚じゃ、それはできない。非生産だ。だから
ぱちん。話す途中で、山本が俺の頬に渇いた音を立てた。
それは蚊でも振り払うかのように弱いものだったけれど、山本はひどく不愉快そうな顔をしていた。
「言葉を選べよ獄寺」
「なんだよ急に…」
「こどもを産めない女は結婚する資格がないのか」
「………ッ」
「ちがうよな」
山本が、叩かれた俺の頬を撫でた。
「結婚するのに大事なものは、やっぱりふたりの“一緒にいたい”って気持ちだよ」
「…………」
「それには、法律も性別も生産的なものも、何も敵わないよ」
「山本……」
「だって考えてみろよ。俺の両親だって、おまえの両親だって、はじめは他人なんだぜ。でも一緒にいたいと思ったから、家族になった。俺やおまえができた」
山本が軽やかに笑う。
俺は、何も言うことができなくなる。

なんで、こいつはいつもこう純粋なんだ。
確実に歳を重ねるのに、それと引き換えるかのように余計なものを削ぎ落としていく。
まっすぐで、おとなになることを厭わない。
こいつを前にしたら、自分が本当にちっぽけな存在に思える。
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