気まぐれプリンセス
□気まぐれプリンセス
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チリンチリンと軒下にぶら下がる風鈴が涼しげな音を奏でる、夏の夕刻。
力一杯に鳴く蜩の声を聞きながら、まだ随分と明るいオレンジ色の空を縁側から眺める一人と一匹。
「夕方でもあまり涼しくなりませんな」
「それが夏ってもんじゃ。しっかしこの暑さは参るのォ。食後に雪女にかき氷でも作ってもらうとするか」
「それは名案ですな、総大将」
総大将と呼ばれた老人は妖怪の世界では誰もが畏れる存在、大妖怪ぬらりひょん。
傍らでちょこんと座る小さな鴉は長年彼に仕える鴉天狗。
「そういやリクオの姿がさっきから見えんの」
「リクオ様でしたら後学友と祭に………」
話の途中でピシリと固まってしまった鴉天狗をぬらりひょんが怪訝そうな顔で見る。
「どうし「泡様ァァァァ!!!!」
どうした、と声をかけるより早く、総大将の一人娘の名を叫びながら屋敷内へ飛び去ってしまったカラス。
ぬらりひょんだけは毎年の事だと言うように悠長にキセルを吹かした。
**
ドンヒャラドンヒャラ
空が眩み星が瞬く時間、神社の境内では祭囃子の音が鳴り響いていた。
大きいとは言えない祭だが、人で賑わい、屋台の数もそれなりにある。
リクオ達清十字団もまたそこにいた。
「だいぶ混雑していますね…。リクオ様、大丈夫ですか?」
「ボクは大丈夫だよ。とにかく清継くん達と逸れないようにしないと」
奴良組若頭のリクオとその側近である雪女。
人に流され、清十字団の仲間より若干後ろを歩きながらも何とか見失わずに彼らの後を追っていた。
「つららこそ暑いのに大丈夫なの?」
「大丈夫です!お任せください!」
己の側近として張り切る彼女に苦笑しつつも、大丈夫だと聞いて安心した。
なんせ彼女は雪女なのだから暑さに弱いのは百も承知だ。
「あ、追いつき…「りんご飴一つください」
屋台の前で止まった友人達にこれなら追いつくとリクオが思ったその時、どこかで聞いたことのある声が耳に入ってきた。
いや、ないない。
だってその人物は「いってらっしゃい」と自分達を送り出してくれたのだから。
恐る恐る、額に嫌な汗が流れるのを感じながらその声が聞こえてきた方を振り返れば……
「お姉さんえらい別嬪だねェ。年いくつだい?」
「四百歳位です」
「あっはっは。お姉さん面白いねェ。その抱いてんのは犬かい?」
「ふふ、違います。すねこすりです」
「面白い名前だなァ。はいよ、りんご飴ね。一つサービスだ」
「まぁ、ありがとうござ…
「姉さんんんん!!!!」
「泡様ァァア!!!!」
予想通りの人物がそこにいた。
「あら、リクオに雪…「わぁぁぁ!!いいからコッチ来て!」
皆まで言う前に腕を捕まれると、物凄い勢いで境内の森の中へと連れて行かれる。
「何で姉さんがここにいるの!?」
『姉さん』
そう呼ばれた銀髪の女性はぬらりひょんの実娘であり、リクオの叔母にあたる人。
紺色の浴衣に身を包み、本家の妖怪であるすねこすりを腕に抱いて、ニコニコと笑顔を浮かべるその姿は一見妖怪には見えない。
「お祭りだもの。いても不思議じゃないわ」
「そりゃあ、そうだけど…じゃなくて!何で一人なのさ!護衛は!?」
彼女独特のゆったりとした雰囲気に危うく流されそうになったが、何とか持ちこたえ、目を三角にして相手を見据えた。
「そうですよ、泡様!護衛も付けずにお一人など危険すぎます!」
リクオに続いて雪女も意見するが、「まぁまぁ」と宥める仕草をするだけで反省の色は窺えない。
毎年祭に足を運ぶのは知っていたというのに、うっかりしていたと自由奔放な叔母にリクオは大きな溜息をついた。
「大丈夫よ。お迎えも来た事だし」
「「え?」」
そう言って空を見上げる泡にリクオと雪女もつられて上を見る。
満点の星が広がる夏の空。
そこには確かな妖気と段々とこちらに近づいて来る見知った妖怪。
「泡様!」
降り立ったのは武者の鎧を纏い、黒い羽を持った青年。
本家目付役、鴉天狗の三人の子供の長男である。
「やはりこちらにいらしたのですね。さ、帰りましょう」
「ええ。じゃあ二人共、あまり遅くならないうちに帰ってくるのよ?」
泡がリクオと雪女にそう言うや否や黒羽丸が「失礼します」と言い、素早く泡の膝裏と背中に手を回すとさっと抱き上げた。
俗に言うお姫様抱っこである。
「では、若。お先に失礼致します」
「え、あ、うん」
リクオに一礼し、空に飛び立った生真面目な鴉。
黒羽丸の素早い行動に呆気にとられ、リクオと雪女は暫くの間闇に消えていくその姿を見送っていた。
遥か上空、人がいくら目を凝らしても彼らの姿を捕らえる事は不可能であろう。
街の明かりが眼下に広がるそこで黒羽丸は横抱きにした泡を見据えた。
「姫、祭に行くのは大いに結構ですがせめて護衛の一人位付けて行ってください」
「あら、付いてるわよ?ねェ、すねこすり」
「姫!すねこすりではいざという時対処で…「まぁまぁ、お説教は帰ってから聞くから」
「ねェ?」と腕の中のすねこすりに笑いかける泡に黒羽丸は盛大な溜息をつく。
「それよりも黒羽丸」
「はい、何でしょう」
「このまま家に帰るのはどうかと思うんだけど」
困ったように笑う泡が言うのは今の自分の格好─お姫様抱っこの事。
さすがにこの状態で帰るのはいくら何でも気恥ずかしさがある。
「ダメです。こうしていれば逃げられる事もありませんので」
「逃げないから、ね?」
「いけません」
空を飛べない泡がこの場から逃げる事など出来るはずがないのだが、何度言ってもこの真面目すぎる鴉は聞いてはくれないだろう。
泡は観念し、本家に着くまでこのままであろう自分を覚悟した。
「ついこの間まではまだピヨピヨ鳴いている小鳥だったのに…」
「はい?」
「いつの間にかこんなに逞しく成長して」
黒羽丸を見上げる泡はさながら弟の成長ぶりを実感した姉のよう。
思いきり子供扱いをされているような気になり、黒羽丸は些か声を荒げながら泡に反論した。
「もう既に成人も向かえました。私だって立派な男なんです」
「分かってるわ」
「分かっておりません」
「分かってるって。はい、お駄賃」
おまけに貰ったりんご飴を差し出し、ニコリと笑う泡に再度黒羽丸が溜息をついた。
「やはり泡様は分かっておられません」
「分かってるのよ」小さく小さく、黒羽丸には決して聞こえない位の音量で発せられた言葉。
ほんのり赤くなった顔を見られまいと伏き加減になる泡をすねこすりだけが不思議そうに見つめていた。
胸の高鳴りが何よりの証。
(永い時を生きてきたのに)
(こんな感情、私は知らない)
end
今まで意識してなかった子を意識する瞬間。
すねこすりは四国八十八鬼夜行と対面した時に百鬼夜行の足元にいた子犬みたいなやつです。