水色マシェリ

□蜜
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「美月っ!」


連れられた部屋に入ったら黒い服を着た知らない男の人がいて、突然名前を呼ばれて思いきり抱きしめられた。
この人は誰なのかとかどうして名前を知ってるのかとか何をするんだとか、言いたい事はいっぱいあるのに全部声になる事はなかった。
美月、と呼ぶ声があまりにも優しくて、強く強く抱きしめる腕があまりにも温かくて、鼻孔を擽る煙草の香りにあまりにも安心感を覚えたから──ツンと鼻の奥が痛くなって、ただただ何も考えずに感情のまま泣きついてしまいたかった。

─────

「っセクシャルハラスメントぉぉ!!!!」

「ぶへらっっあ!!!!!!」


一瞬の隙を付き、体を離して回し蹴りを喰らわすと男の体は面白いくらい派手にぶっ飛んだ。


「初対面の女の子に抱き着くなんて一体どんな了見ですか。百回死んでください」


ふん、と鼻を鳴らして仁王立ちし倒した相手を見下す。
その冷たい色をした瞳に明らかに刻まれた軽蔑の二文字。
ちょっと何これシリアス展開じゃないの?、と深刻な面持ちで美月を待っていた淡島達いつもの面々は呆気にとられるやら拍子抜けするやら。
ただ一人、美月の傍にいたイタクだけが彼女の横顔をじっと見つめていた。


「ちょっとお前何してんのぉぉぉ!!!???感動の再会場面だったろ今ぁぁ!!!!!!」

「どこがですか。操の危機しか感じませんでした」

「どこで覚えてきたそんな言葉ぁ!!??」


馬鹿力の蹴りをもろに喰らい思いっきり壁に激突したはずが無傷で生還したその男に、ああやっぱり美月の世界の住人なんだなと回りは妙に納得してしまった。
いい男なのに…、と呟いた冷麗の言葉は当の男に届く事はない。


「とにかく、帰るぞ。隊服とかあんだろ。さっさと荷物纏めちまえ」

「…………………どこにですか」

「あ?」

「貴方がお帰りになられるのは自由ですが、なぜ私もご一緒しなければならないんですか」


一瞬、思考回路が止まった。
男は知っている。
少女が人を欺く事が苦手な事も、冗談でそんな事を言うような子でもない事を。
信じられない信じたくない、と目を見開き、長い年月を共に過ごしてきた妹分を見つめる。


「大体、貴方は誰なんです…?」

「っ!!??お前っ、何言って…!!!!」


心臓を鷲掴みされたようだった。
嫌な汗が背を伝い、やけに呼吸がしにくく感じる。
絶対にそんなはずはない──そう思いたくて薄っぺらい肩を乱暴に掴んだ。


「!?、つっ!」

「馬鹿言ってんじゃねぇ!!拗ねんのもいい加減にしろ!!近藤さんも総悟も皆ってめーの帰り待ってんだぞ!!??」

「──っ!!や…っイタクさ……っ!!」


助けを求めるや否や、その行動を遮るようにイタクが男の腕を掴む。
瞳孔が開いた金の目は、止めろ、と少女の兄貴分に訴えていた。


「何だてめーは」


ドスのきいた低い声。
邪魔すんじゃねぇ、そう言ってイタクを睨みつける切れ長の黒い目には確かな苛立ちと焦燥が浮かぶ。


「………記憶がねーんだよ」

「……何、?」

「コイツは、元の世界の記憶をなくしちまったんだ」


身の毛がよだつとはこのような事をいうのだと思った。
自分を見上げる水色の目が初めて、恐怖と戸惑いに揺らいでいるのに気付く。
するりと掴んでいた肩から腕が落ちた。
解放された身体を、美月はすぐさまイタクの後ろへと隠す。


「…………………………本当に、覚えてねぇのか…?」


交わる事のない視線。
顔を逸らして、こちらを見ない少女が控えめに頷く。


「……俺の、事もか……?」

「………………すみません」


そうか…、力無い返事が美月の耳に届いた。
胸を締め付けるような痛みは罪悪感からか、言い様のない不安を紛らわすようにイタクの服の裾をぎゅっと握り締める。


「ねぇ、お兄さん。暫くこっちにいるんでしょう?」


長い沈黙の中、重い空気を消し去るような冷麗の綺麗な声が部屋に響いた。


「あ、ああ……そうだな」

「なら赤河童様にご挨拶に行かないと。私達が案内するわね」


ねぇ皆、と回りにいる淡島達に笑いかける冷麗に空気を読んだ土彦が賛同して頷く。
オイラーもか?、ンなに人数いんねーだろ、といまいち空気の読めていない雨造と淡島に絶対零度の微笑みを向けながら、行くのよ、と誰も逆らう事を許さないような声色で言い放った。


「赤河童様はこの遠野の里の長よ。ところで、お兄さんの名前は?」

「……土方十四郎」

「私は冷麗よ。と、自己紹介は後からゆっくりしましょうか。こっちね」


心ここに在らずといった土方を半ば強制的に冷麗達が連れて行く。
襖が閉まる最後まで彼が見つめていた水色は俯いたまま。
美月の事はイタクに任せるという冷麗の賢明な判断で二人だけになった静かな空間。
土方十四郎──その名前を聞いた瞬間、彼女が確かに動揺した事にイタクは気付いていた。


「……………イタクさん…」

「…何だ」

「…イタクさん、イタクさんっ……」


空っぽの頭の中でいろんな考えが行き交って、小さな胸にいろんな想いが複雑に絡み合う。
繰り返し己の名を呼ぶ彼女の声が、助けて、と言っているようにイタクには聞こえた。
存在を繋ぎ止めるように服の裾を握り締める手が彼女に出来る精一杯の足掻きに見えて、胸が塞がり何も言えなくなる。


「……イタク、さん…………」


裾を掴む白い指を解き骨張った指を絡めて、小さな手の平にイタクの温もりが広がる。
無防備な水色の頭を抱き寄せて、繋がれた手はそのままにイタクは柔らかな髪に顔を埋めた。
いつかこんな日が来る事は分かっていたのに、非日常がいつの間にか日常になって当たり前になった。
でもそのいつかは突然やって来て、日常は呆気なく崩れていく。


「……何が何だか…訳が、分かりません……」


ぐちゃぐちゃでどうしたらいいのか自分でも分からない。
知っていて知らない過去が、失くなってしまう今が、苦しくてもどかしい。


「イタクさん、っ………」


もうすぐいなくなってしまう小さな温もりを感じながら、柄にもなく泣きそうになった。


さよならの距離

(この気持ちをお前に伝えたとしたら)
(俺達は離れずにすむのだろうか)



─ただ、そばにいてほしいだけ




end


思ってた以上にシリアス展開になりました。(←爆

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