水色マシェリ
□花
1ページ/1ページ
元の世界の記憶が美月から消えた、という事実はイタクの口からすぐに淡島や冷麗達へ伝えられた。
「思い出すにしても、私達には何も…」
「美月ィは自分の話あんましないからな…」
「イタク、お前何か聞いてねーのか?」
淡島がイタクに話を振るが、生憎彼も美月の事は皆と同じような事位しか知らない。
元の世界の話を彼女の口から聞いたのはたった一度だけ。
自分が人間ではないと打ち明けた、その時だけ。
「せめて、写真の男の人達の名前さえ分かれば記憶を取り戻すきっかけを作れるのに…」
「それすら分かんねーんじゃなァ」
「コホコホ、手の打ちようがないね…」
うーん…、と考え込む仲間達を横目にイタクはその場を離れようとする。
それに気付いた淡島が「お前も真面目に考えろよ!」と腕を掴み止めるが、イタクは振り向く事なく、ぶっきらぼうに言い放った。
「……無理に思い出させる必要もねェだろ」
「イタク……」
言い終わるや否や、淡島の手を乱暴に振りほどき、木々の向こうに去っていく。
その背中を見送りながら残された淡島達は、どうしたものかと顔を見合わせるのだった。
─────
「無理しなくていいのよ」
「え?」
「記憶の事。あんな事言ってもやっぱりショックでしょ?」
あ、そうなんですか。まァ、なっちゃったもんは仕方ないですよ。
お前は記憶喪失なんだ!と、先程意を決して淡島が美月に事実を話したにも関わらず、当の本人はといえば実にあっけらかんとした態度で逆にこちらが愕然とさせられた。
予想外も予想外。
呆気に取られるやら拍子抜けするやらでいまいち腑に落ちないまま、男組は実戦場へ、女組は勝手場へとそれぞれ別れた。
「……分からないんです」
「美月…」
「確かに、出生を話せと仰られても私には分かりません。実感が湧かないと言うのでしょうか…。遠野の皆さんの事はきちんと覚えていますし、記憶を失っても私は一人じゃありません。悲しいという感情さえ抱けない私は、随分な薄情者です」
そう言って、困ったように笑う美月に冷麗は「…そんな事ないわ」と返す事しか出来なかった。
足元にしがみつく紫の頭を撫で、気を取り直すために「さあ、早く皆にレモンの蜂蜜漬けを持って行ってあげましょう」と努めて明るく振る舞う。
「蜂蜜取りますね」
「ええ。落とさないようにね」
「コホコホ…気をつけて」
背伸びをして、戸棚の上にある瓶に腕を伸ばすと慎重に下ろしていく。
勝手場の小さな窓から差し込む日差しに、キラキラと中の蜜が美月の目の前で綺麗に輝いた。
「………はちみつ…、」
どこでだろうか。
いつも近くで、この色を見ていた気がする。
「アンタ、お空とおんなじ目してらァ」
日に透けた髪の先が時折金色に光って、こっちを見ながら意地悪に笑う男の子。
「キレイなのに切ったらもったいねーや」
「 」
記憶にない、出て来ない名前を呟く。
「美月?」
冷麗に名前を呼ばれ、ハッと我に返った。
どうしたの?という問い掛けに、何でもないですと返し、蜂蜜を手渡す。
ほんの一瞬、朧げな記憶の中の知らない男の子。
頭の片隅にそっと置いて、「行きましょう」と重箱を持って微笑む冷麗に頷き、紫と三人で実戦場へ向かった。
「休憩にしたら?はい、差し入れ」
「おおー、シャリシャリー」
「やっぱ稽古の後はこれだよなァ」
実戦場に着くとすぐ、一区切りをつけた淡島達が冷麗の周りに集まる。
美味い美味い、と皆が口にする中、赤いバンダナを巻いた彼が見えない事に美月は首を傾げた。
「淡島さん、イタクさんはどちらへ?」
「ん?イタクなら…お、帰ってきた」
ほら、と指差された方には木々を飛び移りこちらに向かってくるイタクがいた。
探していた姿が見えた事に美月の頬は自然と緩んでいく。
「来てたのか」
数十秒後にはもう目の前に降り立ったイタクに、はい、と返事をする前に煙草の匂いが美月の鼻孔を擽った。
それは、嗅ぎ慣れていないはずなのに、まるでよく知っているような不思議な感覚。
「てめーは俺の補佐だ。文句ねェだろ」
「イタクも食えよー!雨造に全部食われちまうぜー」
「今行く」
行くぞ、と声をかけて横を通り過ぎようとしたイタクの腕を美月は慌てて掴んだ。
鋭い金の瞳が、どうした、と無言で問い掛ける。
「……たばこ…」
「煙草?…ああ、今赤河童様のとこに行ってたかんな。移ったんだろ。嫌か?」
「いえ…ただ……」
「ガキが一人増えたくれェどうもしねーよ」
「変な、感じがしまして……」
「俺達と来い、美月」
「…上手く、言えないんですけど……」
ふわり、漂う香りは苦いのにどこか甘い。
紫煙の向こう、美月、と名前を呼ぶ彼は一体誰だろうか。
応えたくとも相手の顔も名前も分からない。
掴んでいたイタクの腕から力を抜くと、今度は逆に美月の腕をイタクが掴む。
「イタクさん…?」
「分かんねーんならそれでいい」
真っ直ぐに美月を見つめる月の色をした瞳。
無表情の仮面の下、隠しきれない不安な心が顔を覗かせる。
「思い出せねェんなら、好きなだけここにいりゃあいい」
掴まれた腕に力が入ったのが分かった。
「誰も、何も言やァしねーよ」
ずっとここにいてほしい、と素直に言えるような性格ではないから。
それが、イタクに言える精一杯だった。
「……ありがとうございます」
驚きで軽く目を見開いた後、彼女は困ったように小さく笑う。
脳裏に焼き付くのは、蜂蜜色と煙草の香り。
知らないのに知ってる、記憶の中のぼんやりとした二つの存在。
嬉しい事を言われたはずなのに素直に喜べない自分に、やはり薄情者だなと虚しく思えた。
失くした想いのカケラ
(落とした心は散らばって)
(それは全てかけがえのない物)
─いつだって失って初めて気付く大切さ
end
おっきーとトッシー。
文章ごちゃごちゃ…